【番外編】 愛しい人。

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頬をピンク色に染めた海斗が宮原と朝食をとっているのを横目に、岸上はひとりで席に座った。 「ここ、よろしいですか」 他に席は空いているはずだ、と視線を上げる。 向かいに座ったのは梶だった。 黒いスーツを少しラフに着こなしていて、隼人が言っていたように新人らしさも感じられる。 ただ彼が醸しだす空気は岸上を息苦しくさせた。 「……ゆうべはウチの宇津木がお世話になったようで」 本気で妨害したかったのなら、部屋へ来るという方法もあったはずだ。 岸上は精一杯の抵抗を試みた。 「梶さんにちゃんと言わなきゃ駄目だって言ったんですけどね……」 とことんヘタレだ。 「言っておきますが、僕は今後一切おふたりの間を取り持ったりはしませんよ」 口調から推測すると、ふたりの間で何があったのか、だいたい把握しているのだろう。 「心得ておきます」 食事どころではなくなった岸上に、梶はさらに言った。 「宇津木に何かあったら、僕も困ります。いい仕事ができるように、岸上さんも支えてあげてください」 一応、付き合いは認めてくれているのだ。 岸上はほっとしたと同時に少しおかしくなった。 笑いを噛み殺しながら、真面目顔の梶に応える。 「わかりました。大事にしますから、ご心配なく」 我ながら思い切ったセリフだ、と相手の出方を伺うと、梶はそれきり何もいわず席を立った。 マネージャーも大変だ。特にああいう若くてまっすぐな子の担当は。 梶に同情すると同時に、隼人と付き合っていくという事実を噛み締める岸上だった。 いっぽう海斗はというと、朝食後宮原と部屋へ戻り、帰り仕度を始めていた。 「できればもう少しいたかったけど、仕事がたてこんできてね」 「いえ、俺が来たいってワガママ言ったんですから。また費用も出してもらっちゃったし」 「そんなのはいいよ、お昼はどうしようか」 バッグに荷物を詰め込む海斗の脳裏に、出かけぎわの母親との会話が蘇った。 “彼女とお泊り?” “そんなんじゃないって” 母は海斗がアルバイト以外で帰宅が遅くなっているのに気づいていて、その裏に何者かの影を見ているのだった。 「ここのレストランで、あとひとつ食べたいものがあったんですけど……」 ふたりで遠くまで来てしまうと、帰るのが辛くなる。少しでも宮原を引き止められないものかと思うのだ。 「うん、チェックアウトしたら散歩でもして、ランチしてから帰ろう」 ツインルームだったが、昨夜は片方のベッドしか使わなかった。もう一つのベッドも使ったことを装うため、シーツをめくりあげた。 「忘れ物ない?」 鍵を持った宮原が尋ねてくる。海斗はうなずき、廊下へ出た。 ゆうべは岸上に問い詰められ、すっかりペースが狂った。引っかからないつもりだったのに、やはり大人には敵わなかった。 落ち込んで部屋へ戻ったら宮原に抱きしめられ、今度こそどうなってもいいと決意した。 しかしどうしても海斗に負担をかけたくないと、宮原は一線を超えなかった。 抱きしめ合って眠るのは、それはそれでとても幸せな気分だったけれど。 フロントの前でぼんやり外を眺めていた海斗の視界に、撮影のスタッフが慌ただしく横切る姿が映った。 あの二人は外で撮影だろうか。午前中は雨で仕事にならなかっただろう。 「考え事?」 宮原の声がして、肩に大きな手が添えられる。 海斗はバッグを持ち、宮原と出口へ向かった。 *** END
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