7 断崖の殺人

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11時を回った頃、浴室にひと気を感じなくなった海斗は着替えを持って脱衣所へ入った。 貸切状態の洗い場で一日の汚れを洗い落とし、湯船に浸かる。 自宅マンションの風呂に比べればここは広々として、天井まで湯気が立ち昇る光景に温泉気分も盛り上がった。 少し体が温まり汗が出てきたので、今度は露天風呂に移動した。 もう宿泊客たちは寝ようとしているのだろうか。 いや、これからどこかで宴会が始まるのかもしれない。 そんなことを考えつつ暗い渓谷を眺めていた海斗の耳に、ドアの開く音が聞こえてきた。 一瞬ハッとして、気を取り直す。 宮原の言ったことを真に受けて、これから一度も公衆浴場に入らないわけにもいくまい。 男たちは海斗を性的な目で見たりしないし、自分さえ気にしなければいいのだ。 ただ、知らない人ならまだしも、増井だったら少し気まずいな、と思う。 海斗は洗い場に座っている後ろ姿に目をこらした。 どちらかというと長身で、大きな背中だ。 間違いなく宮原だった。 安心していいのだろうが、動くこともできなくて固まってしまう。 ひたすら外を見ているうちに、後ろでガラス戸が開いた。 「やあ」 チラと目をやり、すぐまた夜空に視線を戻した。 星でも見えればいいものを、天気がよくないようで月にさえ雲がかぶっている。 海斗の脇へ宮原が足を浸けてきた。 堂々としたものだ。 端から見れば、単に旅館のスタッフと客が偶然風呂で居合わせた図だろう。 しかし真実はそうではない。 「いい風呂だね。明るい時はもっといいかな」 口を閉ざしたままの海斗を覗き込むようにして、宮原が話しかけてくる。 視線を感じ、出るにも出られず途方に暮れた。 「大丈夫?ぬるめだけど、ずっと入ってたらのぼせちゃうよ」 「大丈夫です……」 女の子みたいに恥じらっている自分にも腹が立つし、無遠慮すぎる宮原も嫌だ。 いつの間に鍛えているのか、宮原はそこそこの筋肉をつけた腕を伸ばし、気持ちよさそうに目を閉じた。 この隙にと海斗が立ちかけた途端、腕を引っ張られて湯の中へ戻される。 「俺は何もできないんだよ、ここじゃ。ちょっとした嫌がらせくらいしか」 やはり宮原は苛立っていたのだった。 久しぶりに会えた海斗に触れたくても触れられず、人目を気にしなくてはいけない状態に。 「帰ったら倍返しだぞ」 本人も認める通り、宮原はちょっと子供っぽい。 好きだと言われる前にはわからなかったことが、いつしか理解できるようになっていた。 「……辛いのはこっちも同じです」 湯船の中、そっと宮原の手を握る。 顔を上げたら、驚きの混じった照れ笑いがあった。
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