248人が本棚に入れています
本棚に追加
/109ページ
海斗は翌朝6時、浴室掃除に向かった。
途中で広間に寄ったら、やはり昨日、深夜の宴会が行われたらしい。自動販売機で売られているビールの空き缶がテーブルに何本か放置されていた。
型どおりの設備点検と清掃を終え、広間を片付けるうちに枝尾もやってきた。
「おはようございます」
挨拶をして段取りを打ち合わせる。枝尾は厨房で米を炊く準備をして、食器の用意をするのだという。
宿泊客の朝食は7時半からだ。ほとんどの料理は前日から作り置きしてあり、板前の小野は7時頃やってくるとのこと。
海斗は館内の清掃をし、それが済むと表へ出て掃除を始めた。
朝もやの中、一台の車がしずしずと近づいてくる。小野が出勤してきたのだった。
「もう7時?」
板前に挨拶をして中へ戻ったら、まだ7時にはなっていなかった。
「ほら、今日団体さんだから。いつもみたいに半分くらい埋まってる状態だと、のんびり来てもいいんだけどねー」
“かつら亭”は普段は3、4人も客が入っていれば上等程度の、知る人ぞ知るといった隠れ宿なのだそうだ。
玄関横の事務所では、もう和服姿の大竹が仕事していた。
海斗が枝尾を手伝って広間に朝食の膳を運び終えた頃、客が顔を見せ始める。
「おはようございます」
増井も大きな体の男と一緒に現れた。
席がだんだん埋まっていく。
「みなさんお早いんですね」
海斗は、給仕を手伝いながら増井に話しかけた。
「海斗くんこそ早いじゃない」
増井がそんなことを言ったとたん、
「あれっ、増井、この子知り合い?」
隣にいた男――楠田が尋ねてきた。
「あっ、その、」
言葉を選んでいる増井の代わりに海斗が答える。
「僕、東京で本屋のバイトしてるんですけど、よくお客さんでいらしてまして、顔見知りだったんです。夏休みはバイト増やそうと思ってるって話したら、ここ紹介してくださって」
「へえ。本屋さんね。そんな感じ」
納得したのかしていないのか、楠田が増井をチラリと眺めた。
「この辺の子にしては垢抜けてるってみんなで話してたんだよ、じゃあ東京に住んでんだね。学生さん?」
「ええ……」
宮原が言っていたのは嘘ではなかったようで、海斗のことが噂になっていたようだ。
こんな何もない旅館では、そのくらいしか話題がなかったのかもしれない。
海斗は広間を離れ、まだ来てない人の数を数えた。
あとは宮原と近重だけ。
みな忙しい身らしく、チェックアウトを早めに済ませる相談をしている者もいる。
食べ終えて部屋へ帰っていく人のいる中、宮原がふらりと現れた。
海斗が広間の入口で挨拶をする。
「おはようございます」
「おはよう」
まだ髪がボサボサだ。いつも朝寝坊の宮原にしては、頑張って早起きしたのだろう。
「ああ、みんな終わってんの?」
空いた食器ばかりが並ぶ広間を見渡して宮原がいう。
「だいたいは……。あと、近重さんがまだです」
「ふうん」
後で聞いたところでは、宮原から見た近重の印象はあまりいいものではなかったとのことだ。担当編集者の和島を家来のようにこき使い、やや虚言癖もありそうだとか。
座談会では無難にやり過ごしたが、何時間も話をしたい人間ではない、とも。
これまで人の悪口を言ったことのない宮原がそこまで言うからには、かなり感じの悪い男なのだろう。
宮原も食べ終えて、広間に膳がひとつだけ残された。
その旨を大竹に相談し、和島から近重に声をかけてもらうことになった。
最初のコメントを投稿しよう!