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警察への通報は速やかにおこなわれ、海斗と旅館従業員、そして宮原を含む6人の客は順に広間に呼ばれ、話を聞かれることとなった。
海斗はその日の午前中に仕事を終える予定だったから、自室で呼び出しを待っているより他なかった。
「今日お迎えするお客様がいらっしゃるんですが」
女将が警察官に問いかける声がする。
「それまでに終わらせますよ」
聞くことを聞いてしまえたら、みな身元のはっきりした人たちだし、帰ってもらうのは全く構わないとのこと。
海斗は従業員だったので呼ばれる順番が早かった。
「近重さんと面識は?」
などの質問に答え、住所氏名を教えておしまいだった。
海斗はなんとかして宮原と連絡を取りたくて、事務所から部屋へ電話をかけてみた。
「海斗くん?駄目だよかけちゃ」
宮原はそう言いながらも、暇だったらしく付き合ってくれる。
「あの……俺はすぐ出ちゃいましたけど、近重さんのことで何かわかりましたか?」
「まあね。亡くなったのは昨夜12時から1時にかけてだろうってことぐらい」
「え?そこまで?」
「ミステリ作家をなめてもらっちゃ困るな。遺体の状況から、死後何時間かぐらいはわかるよ」
後で詳しく聞いたところ、宮原は死後硬直の状態、死斑の具合などを素早く確かめたのだという。
「なるほど……頭に怪我してるって言ってましたよね」
「陥没してるみたいだったから、死因は脳挫傷とかかな……。それより気分悪くない?死体見たの初めてだよね?」
現場に残された血は乾いていて、生々しさは薄れていた。
海斗には物言わぬ近重を仔細に観察する余裕もなかったから、ただ人の死んだ場所に居合わせたというだけの感覚だった。
「大丈夫です」
「ああ、ごめん、切るよ」
警察官が部屋を訪ねたのだろう、宮原の電話は唐突に途切れた。
海斗はまたこっそり自室へ戻り、メモ帳に皆の名前などを書いた。
指摘通り死人を見たのは初めてで、一人だったらあれほど落ち着いてはいられなかったと思う。
部屋を出るよう言われてホッとしたのは間違いなかった。
海斗が書き出した“容疑者リスト”は以下のとおりだ。
和島充 少年漫画雑誌「少年ドカン」の編集者。近重担当。
向井修治 漫画雑誌の編集長。
川里光義 推理小説作家。近重とは大学のミステリ研究会で一緒だった。
楠田行雄 川里担当編集者。推理小説雑誌「季刊推理マガジン」の編集者。増井と仲良し。
大竹 旅館の女将。
枝尾久美 旅館の仲居。新人さん。
増井隆 「三栄社」の宮原担当編集者。
宮原の予想した死亡推定時刻が合っているとすれば、そのころ広間で宴会をやっていた可能性もある。
海斗が頭をひねっていたら、ドアの外から大竹の呼ぶ声がした。
「須賀くん、もう帰っていいそうよ。お客様が揃ってから一緒に小野さんに送ってもらうのでいい?」
「はい、そうします」
「それと、いまタオル洗濯に出してきたんだけど、浴衣が一枚、脱衣所にあったの。お客様の部屋のはどれも揃ってて、代わりにリネン室の浴衣が一枚減ってたって。誰が使ったか知らない?」
「いいえ」
海斗は答えながらカバンに荷物を詰め込んだ。
朝早く風呂場の掃除に行った時は、浴衣には気づかなかった。
「そう。久美ちゃんも知らないっていうし、気持ち悪いわぁ」
「サイズから分かったりしませんか?」
「どうかなぁ、減ってたのも多かったのもLサイズね。今回お出ししたのはM2枚とL5枚」
「誰がどのサイズだったか記録ありますか?」
自信はないが、これももしかするとなにかの手がかりになるかもしれない。
海斗は大竹から客に出した浴衣のサイズを聞き取った。
Mは向井と増井の2人。Lは宮原、近重、川里、和島、楠田の5人だ。
全員の聞き取りが終わったのは昼近い時刻だった。
海斗は他の客と一緒にマイクロバスに乗り、旅館をあとにした。
引き取り手のない近重のバイクが、灰色のカバーの中でさみしげに残っているのを見送る。
マイクロバスの中では警察との話でわかったことをめいめいが報告した。
近重の死因はどうやら撲殺らしいこと、死亡推定時刻は昨夜12時~1時の間の可能性が高いことなどがわかった。
海斗はこっそり宮原と後で会う約束をして別れた。
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