7 断崖の殺人

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宮原がいなくなった家は寂しい。 書庫の奥から扇風機を取り出してホコリを払っていると、玄関で物音がしたようだった。 住宅街の真ん中にある家にしては、ふいの来客が多い。それなのにインターフォンは壊れている。 海斗は玄関へ出ていった。 「あ、久しぶりー!涼ちゃん、いないんだ?」 そこに立っていたのは秋月美穂だった。 相変わらず明るい笑顔で、体中から有り余るエネルギーを発散させている。 「1~2時間で帰るそうです。よかったらどうぞ」 仕事場と寝室にしかエアコンがない家に入りたいかどうかは、海斗にもわからなかった。 「じゃ遠慮なく……」 美穂は忙しいはずなのに入ってきた。1階の仕事部屋へ案内し、座布団をすすめる。 「ありがと。涼ちゃんと仲良くしてくれてる?」 「はあ……」 露骨すぎる質問に、イエスと即答できなかった。 美穂はふたりの関係を知っている。 「お土産っていうかお菓子持ってきた。後で食べてね」 「じゃあお茶でも……」 お土産にお菓子を頂いた場合、お茶とともに客にそのお菓子を提供するべきかと思い海斗は立ちかけた。 が、美穂は辞退した。 「私はいい。っていうか預かり物なの、冴子さんの……冴子さんっていうのは涼ちゃんのお母さん」 「お母さんですか」 「そうよ、聞いてるでしょ、血の繋がらないお母さん」 確か宮原が13歳の時、父が再婚したのだと聞いた。 「少しは……」 実家と折り合いが悪いとのことだったが、美穂にお菓子を持って来させたというのはどういう事情だろう。 「少しはって、どのくらい聞いてる?お父さんが再婚して連れ子がいたのは知ってるよね?」 「それは、はい」 「……で?」 美穂が促す。 「でって……あと何か実家とあまりいい関係じゃない、みたいな……ことぐらいです、知ってるのは」 「ええっ!弟のことは?」 「ああ、パリに行くとか言ってましたっけ。それしか知りませんけど」 「なんなの、信じらんない!何も話してないんだ!」 美穂はぷんぷん怒って宮原をなじった。 「そんなだからまともな恋愛できないのよね!まったく馬鹿!」 「いえまあその……俺がまだ頼りなくて、そんな話できないって思ってるんでしょう」 子供扱いには慣れたつもりでも、特別な関係になってからは時々つらかった。 悩みがあるなら話してほしいし、泣き言だって言ってほしかったのだ。 「すごく大事なことよ、特に弟のことはね……。あの子は涼ちゃんを好きなくせに、裏切ったんだから」 「そ、そんな話、聞いていいんですか?」 「今まで話してないんなら、放っといたらずっと話さない気でしょうよ。なら私が話すまでのことよ」 美穂はカバンに入れてあったお茶のペットボトルを取り出し、ぐいと飲んだ。 最近ここへ来る客はこんなふうに用意がよくなった。宮原の接待になど期待していないのだろう。 「あの子も偶然、涼ちゃんと同じ趣味、つまり男が好きだったの。家へ来てすぐ分かったって言ってた」 「あ、ああ……言っちゃっていいんですか」 なぜ宮原の弟の性的指向まで聞くはめになっているのだろう、と動揺するひまもなく、美穂がさらにぶちまけた。 「あいつは涼ちゃんのことを好きだったの。それはいいけど、振られたからって両親に嘘ついたのよ。涼ちゃんに強引に迫られたって」 “弟”が“あの子”になり、今度は“あいつ”になっている。美穂は彼に憤っているのだ。 「親が信じたかどうかはわからない。けど、涼ちゃんはお父さんから罵倒されて、高校出てから実家に戻らなかった」 宮原は家を出てから一人、どういう思いで暮らしてきたのだろう。 誰を敵に回しても、親だけは味方になってくれる。海斗はそう信じて生きてきた。 「あいつも最近やっと親に本当のこと話して、謝ったみたいね。涼ちゃんが中国から帰った時に聞いたけど、それから時々は実家へ顔を出すようになったんだって。お父さんとは相変わらずだけど」 「そうですか……」 ではあの時、海斗は深刻な場面を目撃していたのだ。 弟は宮原に本気で謝罪していた。 だが許してくれとは言わなかった。 「頭の固い人でね、お父さんって人は。男同士なんかとんでもないって、全然受け入れてくれないの。涼ちゃんは、どうせいつかバレるんだからいいんだなんて言ってたけど……そういうもんじゃないでしょ?私はあの子を許せない。涼ちゃんが許してても、私だけは」 美穂は年下のいとこのために怒り、実家との橋渡しをかって出ている。 海斗には到底できないことだった。 「海斗くんに話さなかったのは、きっと巻き込みたくなかったのよ。そういう肉親の間のどろどろした出来事に」 その意見にも一理あるが、海斗には海斗なりの解釈があった。 宮原はやはり海斗に遠慮している。 自分が男しか愛せない体質だったせいで家庭をバラバラにしてしまったということの悲惨さを、隠したかったのではないか。 海斗がもし宮原との関係を両親に打ち明けたらと考えると、怖かったのだろう。 現に海斗が告白した時、“君の両親に悪い”と言っていた。 海斗だって、もし自分の愛する人が自分のせいで両親と不仲になったりしたら嫌に決まっている。 「ねえ、そんな考えこまないで。海斗くんは若いのにしっかりしてるし、涼ちゃんがベタ惚れなのも分かってる。海斗くんが涼ちゃんのこと見放すことがあっても仕方ないとは思うんだけど、できるなら我慢してほしいんだ」 「我慢だなんて……逆でしょう」 見放される恐れがあるのは海斗のほうだ。 恋愛経験もなく、まだ世間のこともわからない海斗を、宮原は暖かく見守ってくれている。 「涼ちゃんと何年の付き合いだと思ってんの?そりゃいい所もあるけど、蹴り飛ばしたくなることも数え切れないんだから。作家にならなかったらどうなってたか、想像しただけでゾッとする」 以前から感じていたのだが、美穂は宮原に身内以上の感情をもっているのだろう。 美穂には感謝すると同時に時々嫉妬を感じる。 海斗の知らない宮原をたくさん知っていて、長い間支え続けてきた美穂。 これから海斗が同じことを宮原にしてあげるためには、何年かかるかわからない。 「そういえば最近二人で調査とか探偵っぽいことやってんの?千葉探偵シリーズの新作、待ってんだけどな」 「どうでしょうね、事件はありましたけど、書いていいものかどうか」 「ホント?書けたらいいね」 美穂は屈託なく笑った。 「じゃあ話もしたし、帰るわ」 「宮原さんに用じゃなかったんですか?」 「別に……。これ渡せばよかったから。ねえ、何かあったら相談してね」 「ありがとうございます」 宮原に対する感情以外は、すべて隠さず見せてくれる。 海斗は美穂に複雑な思いを抱かざるを得なかった。
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