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海斗が汗だくで書庫整理をしていたら、宮原は予定通りの時刻に帰ってきた。
美穂からもらった菓子を渡す。
宮原はあまり表情を変えずに受け取った。
「美穂と何か話した?」
海斗は思わず黙ってしまった。
「あ、シャワー借りていいでしょうか?」
明らかにごまかしたタイミング。
宮原は苦笑し「いいよ」と答えた。
シャワーを浴びて出ると、宮原は出かける前と同じように仕事部屋に座っていた。
「また仕事ですか」
宮原が抱えている仕事は千葉探偵シリーズだけではない。
さっきどこかの編集者と、新しい作品の打ち合わせをしてきたのだろう。
「ああ。ハードカバーで書き下ろし。また時間かかりそうだ」
書き物机の下に、A4大の茶封筒がある。
宮原は気難しくて人づきあいも下手のようだが、仕事を持った立派な社会人なのだ。
「言いたくないなら、責めないよ」
さっき海斗が隠した用件について、ある程度察しがついているのだろうか。
どのみち美穂に訊けばわかってしまうことではあった。
「あの……弟さんのこととか聞きました」
「……ああ」
宮原は気まずそうな顔をしている。
「美穂さんを怒らないでください」
「怒ったりしないよ。話せなかった俺が悪いんだろう」
「俺は宮原さんのことを仙人とか神様みたいに思ってるわけじゃありません。誰にだって親はいるし、家庭の事情もありますから」
「まあね」
「将来俺の家庭に何か揉め事があったとしても、それは誰のせいでもないです。揉めたくなければ俺自身が原因を作らなければいいんだし」
子供のくせに生意気だと思っているだろうか。
海斗は宮原の顔をみつめた。
宮原の顔はわずかに緊張し、焦げ茶色の瞳がなにかを探すようにさまよっている。
「君には余計な心配をかけたくないんだ。……それだけだ」
海斗が近づいても懐に飛び込めるのは一瞬だけと感じた。宮原が抱えてきた孤独が、他人を受け入れることをギリギリまで拒絶していた。
「大人になりたいです、俺……」
こぼれた言葉を拾い上げるように、宮原はそっとキスをくれた。
「こっちこそ、もっと君が安心できるような男になる。誰にも遠慮しなくていいくらいに」
こういう時決まって、海斗の胸は甘く疼く。
ちゃんとした大人に見える宮原でさえ、海斗とのことには自信が持てないでいるのだ。
海斗からみれば手の届かない存在である宮原がそんな考えでいるのだとわかると、涙が出そうになった。
「好きです」
海斗の方こそ、宮原に追いつけるよう早く一人前にならねばと思っていたのに。
好きなだけではどうにもならないことが世の中にはあるのだと、胸の痛みが教えていた。
宮原は「俺も好き」と囁いて、再びくちづけを落とした。
海斗の唇に、頬に、額に。
「……すいません、仕事の邪魔になってました」
どんどん肌が熱くなるのを止めたくて、海斗は言った。
宮原が困ったような笑顔をみせ、立ち上がろうとするのを押しとどめる。
「べつに今日明日って仕事じゃない。もうちょっとここにいて」
そう懇願されれば、無理に帰る気にもなれない。
「海斗くん、そんな顔、他の人に見せるんじゃないよ」
耳元へキスされ、海斗の体がかすかに震えた。
「これでも俺は我慢してるんだ」
若い海斗の思っていることなど、宮原にはすべてお見通しのはずだ。いくら取り繕っても、もっと触れたいという気持ちが顔に出てしまっていたのだろう。
「我慢なんか……しなくていいです」
誘う言葉は、自然と口をついて出た。
宮原がじっと見ているのに耐えられず、目を閉じる。
「若さは罪だよ、海斗くん」
もし海斗が宮原と同じ年代だったら、もっと強引だったろうか。
そんな想像をしただけで、下半身に熱が集まってしまいそうだった。
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