7 断崖の殺人

15/18

248人が本棚に入れています
本棚に追加
/109ページ
数日のち海斗は増井が来ていると聞き、宮原の家を訪ねることにした。 「やあ海斗くん、暑いね」 増井は汗っかきなので、応接室ではなく冷房のある仕事場に招かれる。 「いやぁ座談会、載せるかどうか会議が紛糾しまして、いま様子見なんですよ」 「犯人は逮捕されたんでしょう?」 「そうなんだけどね」 いまや世間は、人気漫画家の近重が殺されたというニュースでもちきりだ。 「川里さんが捕まったことで、大学時代の二人の関わりが色々とすっぱ抜かれたんで、日煌社はもう大変みたい」 川里が近重を殺した動機は、大学時代に語ったミステリのトリックの盗作だった。 川里には作品化していないトリックの構想がたくさんあって、当時ミステリ研究会で一緒だった近重によく話していたという。 増井が和島に聞いたところでは、少し前会いに来た川里がなじるような口調で近重を責めていたとか。近重はトリックのいくつかを川里に無断で使ったようだ。 「“これが盗作じゃないか”ってネットでも議論になってるみたいで。当分騒ぎは収まりそうにないよ」 トリックに著作権があるのか、と一部で話題になり続けてはいるのだが、未だ結論が出ていなかった。かといって盗まれた者が泣き寝入りでは、やりきれない。 「でも何でまたあの座談会の時を狙ったんだろう?」 宮原にもわかっていないことがあるらしく、増井に尋ねる。 「川里さん、末期の癌だそうです。何もできずに死ぬのは嫌だと思ったんですかね。今も入院中ってことでした」 「そうか……痩せたとは思ってたけど」 川里は実力はあっても地味な作家だった。飛ぶ鳥を落とす勢いの人気漫画家を追及するためには、あんなやり方しかないと思ったのだろう。 「映画化も微妙になってきましたし、ウチに影響ないといいんですけどねぇ」 親会社が不調だと、子会社の社員も不安に違いない。 「ところで楠田がお願いしてました“推理マガジン”なんですけど、千葉探偵シリーズで何か書いていただけないですか?」 「君は楠田くんの代理で来たの?」 「そういうわけじゃないです。もうじき来るはずなんですけど、なんか信用されてないようだって言ってましたんで」 宮原はうなずいた。 「だってあのシリーズは、“推理マガジン”に書いて歓迎されるような本格ものじゃないから」 「コメディ色が強いですもんね。でもテコ入れが必要なんですよ、生き残りのために」 増井が熱弁をふるっているところへ、玄関から大きな声が聞こえてきた。 「先生ー!楠田ですっ!おじゃまします!」 「ああ、うるさい」 仕方なさそうに立ち上がる宮原の代わりに、海斗が応対に出た。 玄関先の楠田はスーツの上着を脱ぎ、汗をダラダラ流して立っていた。 「いらっしゃい。ちょうど噂してたところです。どうぞ」 「あれ、きみ、旅館の?」 「ええまあ、とにかくどうぞ」 楠田を見ているだけで海斗も汗をかきそうだ。 「宮原先生、ご無沙汰です!増井、お疲れ!」 挨拶も体格も体育会系で、この男が推理小説雑誌の編集者だといわれてもピンとこない。 「もう、遅いですよ!」 座布団もなしに座っていた増井が体をずらし、楠田の場所を作る。 大人の男が4人も入ると、狭い仕事場はいっぱいだった。 心なしかエアコンのききも悪くなったように感じる。 「楠田さんからもお願いしてください。推理マガジンのこと」 「そうか。……先生、ぜひお願いします!いつも通りの感じで大丈夫ですから、短いのを一本ウチにください!」 「いつ?」 勢いにおされ、宮原は訊いた。 「できれば秋の号で。締め切りは来月末です」 「キツイねえ」 海斗の知る範囲では、いま入っている仕事は先日打ち合わせをしたという書き下ろしだけだ。 「ま、コレ次第だね」 宮原は冗談めかして指で丸を作ってみせた。 「任しといてください!それに、またドラマの話も来てるんです。あちらさんも、千葉探偵シリーズならいつでもやりますって言ってくれてますし」 「いつでも、と言っても、出演者の人たちも忙しいでしょう?」 海斗が口を挟むと、楠田はふふんと得意げに笑った。 「岸上さんも宇津木さんも、あれだけは優先するって約束してくれてるんです。前の映画もすごい入りだったし、テレビ局はノリ気ですよ」 原作にも出演者にも恵まれ、千葉探偵シリーズは息の長い作品になりそうだ。 宮原のコアなファンの間では異端扱いされている作品ではあるけれど、書いている本人は、気楽にやれていいと言っている。 「まあ考えとくよ。今週末までにはどうするか返事するから」 「わ!ありがとうございます!」 イエスと言ったわけでもないのに、楠田は大げさに喜んだ。 「じゃ、オレたちは帰りましょうか、ね、増井くん?」 「そうですね」 「ああ、きみ、旅館はもう辞めたの?どうしてここにいるの?」 立ち上がりかけた楠田が、思い出したように海斗に問いかける。 「実は……」 話そうとして、どこまで真実を言えばいいのか迷う。以前ならはっきり「宮原さんの助手です」と言い切れたのに。 「困らせないでください、海斗くんはね、佐賀くんのモデルになった子なんです」 「えっ?」 助け舟を出した増井に、楠田は驚いて変な声を出した。 「モデルがいたの?」 「まあ、そうですね。あとは帰りにでも」 増井は楠田を促して立ち上がり、 「じゃ、お邪魔しました。また連絡します」 と言って部屋を出ていった。
/109ページ

最初のコメントを投稿しよう!

248人が本棚に入れています
本棚に追加