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「いやぁ、ありがとうございます!助かります」
楠田は何度も宮原に頭を下げ、感謝の意を述べた。
「締め切りはギリギリになるかもしれないけど、やるだけのことはやるよ」
宮原は“推理マガジン”への執筆を承諾した。
推理小説専門誌として何十年もの歴史がある雑誌も、ここ数年の出版不況をうけて存亡の危機を迎えている。
もうマニアだけ相手にしている場合ではない、と編集長も言っているらしく、ほうぼうの人気作家に執筆依頼しているのだとか。
「じゃあ、時々顔出させていただきますんで」
ホクホク顔で帰っていく楠田を見送った宮原は、我知らず溜息をついた。
どのみちシリーズをやめられはしないのだから、書かせてくれるというなら書くべきだ。
来年早々にも出版の決まっている他社書き下ろし単行本の構想は徐々に固まっているから、仕事は重複しても心配ない。
問題は海斗のこと。
告白された時は本当に嬉しかったし、会うたびに愛しいと思う。
ただ、今まで誰も入れたことのない場所まで海斗が入ってきているのが少し怖かった。
海斗はまだ恋を知らないから、いくらでも無謀になれる。
宮原がこれまでに思い知ったのは、恋などしても何にもならないということだけだ。
そこまで考えて、苦笑いが浮かんだ。
人を好きになればなるほど辛く、苦しい。
わかったふりをしてきただけだ。
宮原は、実際は何もわかっていなかった。 胸が痛いほどの恋しさや、自分を見失うほどのひたむきさを。
待ったかいあって、海斗は8月半ばに入るころ、宮原を訪ねてきた。
「こんにちは」
その笑顔はどことなく照れくさそうだ。
メールのやりとりは毎日、決まって夜に繰り返してきた。海斗は“もっと本心を話す”と宣言したとおり、メールでは饒舌になった。
「キスは?」
玄関先でせかすと、
「あっ、あとで」
もう赤くなっている。
“今度会ったらもっとキスしたい”とメールで言っていた海斗。
たとえ一時の気の迷いだったとしても、宮原は遠慮する気をなくしていた。
後悔するなら、しても構わない。
海斗にこの先なにがあっても、守ってやれるだけの力を持ちたいと本気で思う。
「あ……」
仕事場に向かうと思ったらいきなり2階だったので、海斗は面食らっている様子だ。
宮原は、あらかじめ冷やしておいた寝室のドアを開けた。
*** END
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