エピソード23

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エピソード23

 思い出すのは、小学4年生の春の事だ。  あの頃の美桜は、溌剌として、正義感に溢れていた。 「大丈夫?」  病院のベットの横に私は座っていた。 「うん」  私の声に美桜は明るく答える。その額には包帯が巻かれていた。喧嘩の末、机の角にぶつけたのだ。 「大丈夫。名誉の勲章だもん」  美桜は胸を張る。笑ってはいるが、無理しているのが見え見えだった。彼女が喧嘩なんて、入学以来、初めての事だった。 「梓ちゃんのためならこんなの平気。あいつら、今度言ったら許さないから」  勢いよく腕を振り上げ、痛みに顔をしかめる。 「別に、そんな事しなくていい」 「…え?」  私の言葉に、美桜は大きな目を見開いた。 「で、でも梓ちゃん、嫌でしょ?あんな呼び方されるの」 「なんとも思ってない」 「だって…トカゲだよ!?」  身体を起こし、引きつった顔で言う。 「誰だって嫌なはずでしょ?トカゲなんて、怖いもん」 「気に入ってるから。私は」  その瞬間、美桜の顔から笑顔が消えた。 「嫌じゃ…無かったんだ」  その時の美桜の愕然とした顔を、今でも覚えている。 「じゃあ、こんな怪我されても…迷惑なだけだよね」  美桜の言葉に、私は答えなかった。  高校に入っても、美桜の額にその時の怪我は残っていた。おそらくは、一生消えない傷。鏡の中に映るその傷を見るたび、美桜はどう思っていたのだろう。勲章だと思えていたのなら、少しは誇らしい気持ちになれただろうか。  私は、嘘でもいいから、彼女に感謝の言葉を伝えるべきだったのだ。  中学に入り、美桜は一変した。溌剌さは影を潜め、口数は減り、誰かの意見に反対するなんて事はなくなった。今思えば、おそらくあの時が、美桜がこの病気を発症した時期なのだろう。  そしてその頃から、美桜は頻繁に私に話しかけるようになった。 「ねえ、お弁当、梓ちゃんも一緒に食べようよ」 「いい。一人で食べるから」  私は、おそらく美桜が必死で口にしたであろうその言葉を、あっさりと突き放した。 「そのペン、すごく可愛いね」 「昨日のあのテレビ見た?」 「お土産買ってきたんだ。お揃いなの」  おそらく、美桜は確認したかったのだ。私が、美桜を嫌ってなどいないと。なのに私は、彼女の変化に気付く事もなく、美桜の切実な願いをいとも簡単に打ち砕いた。それは、高校に入っても続いていた。  そしてあの日、私は彼女にぶつかった。 「わっ」  美桜がよろめき、尻餅をつく音がした。だけど私は、振り返る事もせず、そのまま通り過ぎた。  あれが、最後のチャンスだったのかもしれないのに。  もしあの時、ごめん、と一言言っていたら、美桜は嫌われたと思い込む事はなかったのかもしれない。  誰かを傷付けようとした事がないなんて、とんだ間違いだったのだ。私の選択はずっと、美桜を傷付けていた。  挙句、彼女が死んだ後、私は心の中で呟いたのだ。彼女は「どうでもいい存在」なのだと。 「だから、私は償うべきなんだと思う」  昨日の貴先生の姿を見て、ようやく気付いたのだ。生きているべき人は、私じゃないのだと。 「…へえ」  先ほどよりも影が濃くなった教室に、音住の声が響く。 「過去の清算をしたいって言うなら別に止めないけど」  それまでの馬鹿にしたような彼の表情が、急に真剣な顔付きへと変わる。カバンからそっと取り出したそれを、長い髪の代わりに手の中で弄ぶ。 「その『過去』に、俺の分も入れてくれない?」  彼の手の中で、小さな刃が鈍い光を放っていた。
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