エピソード3

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エピソード3

「嫌われると死ぬ病?って、はは…」  何かの冗談だろうか。そんな病気、今まで聞いた事がない。 「正確には、死にたくなる、だ」  先生はさらりと言う。 「その病にかかった者が『自分が誰かに嫌われた』と認識すると、脳内の特定の物質が著しく減少する。結果、強い自殺衝動に駆られ、発作的に自ら命を落とす。昨日、古具間美桜が帰宅直後に風呂場で手首を切ったように」 「美桜が…」  本当なのだろうか。先生は頷く。 「そしてその病にかかった者に共通する特徴が2つある。それは特定の状況下での頭痛と、身体の何処かに現れるアザだ」 「頭痛と…アザ?」  馴染みのあるワードに声が掠れる。 「まずアザだが、現れる場所は人によって様々らしい」  先生は、どこか遠くを見るような目をした。 「美桜のアザは胸元にあったそうだ。花びらの形、と彼女は言っていた」  私は自分の左手首に浮かぶアザを見る。花びらの形と言えなくもない。 「そして、頭痛に関しては、特定の言葉がきっかけとなり発症する」 「特定の言葉…」  はっと息を飲む。先ほどから頭痛の直前に先生が発している言葉。そして、昨日の放課後、言い争いの中で誰かが投げ捨てた言葉。それは同じものではなかったか。 「心当たりがあるようだな」 「いや…でも…そんな」  視界がぐらりと揺れた。唇が乾く。 「信じなくても構わない。私には君を助ける義理はない」 「そんな…」  頭の中がフルスピードで動く。先生の話は到底、信じられるものではない。だけど、現に美桜は死んでいるのだ。嫌われたと思い込んだ。たったそれだけで。 「…教えてください」  私は先生の腕に縋り付く。 「先生、私はどうすればいいんですか?どうすれば…」  美桜のように死なずに済むのか。 「分からない」  先生はあっさりと言い放つ。 「…分からない?」 「何故、君がこの病にかかったのか。どうすれば治るのか。そもそも、この病は何によって引き起こされるものなのか。全て私には分からない事だ。この病について知ってはいけない。調べてはいけない。それは美桜が私に何度も言っていた事だ。それが、彼女を救う事になるのだと」 「…先生は、美桜とはどういう関係だったんですか?」  ふと浮かんだ疑問を口に出す。それが自分の首を絞める事になるとも知らずに。  先生は美桜のメモを大切そうに撫で、その裏にさらさらと何かを書き込む。 「私と彼女は幼なじみだった。…兄妹のように思っていたよ。彼女を守りたかった」  全然知らなかった。美桜とは小学生の時から高校一年生の現在までずっと同じクラスだったというのに。それほどまでに、私は彼女に、他人に興味がなかった。 「だけど、守れなかった」  ぞくりとする。また、あの目だ。鋭い刃物のような瞳。普段の先生とは全く別人のような顔。 「…先生」  私は後退り、置いてあった段ボールに躓いて尻餅をつく。 「…っ」 「もし、このメモをクラスメート達に見せたら、君はどうなるかな?」  先生は美桜の遺したメモをひらひらと振る。 「え…?」 「例えば、日辻由香里に見せたら…」  由香里は美桜の親友だ。もし、私のせいで美桜が死んだ事を由香里が知ったら、彼女は私を嫌うだろう。そうしたら私は…。鈍器で殴られたような衝撃が走る。 「…いや!」  私は激しく首を振る。 「冗談だ」  先生は美桜のメモをくしゃりと握る。 「私は君を嫌ってはいない」  丸まったメモをゴミ箱に入れながら先生は言う。頭が割れそうに痛い。 「もっとも、嫌っていたとしてもそれを君が確信出来なければ死にはしない」 「…え?」 「たとえば、面識のない人間に『お前の事が嫌いだ』と言われても、嫌われるに足る根拠がないのだから君は死に至る事はない。逆に、実際に嫌われていなくても、君が嫌われたと思い込めば命を落とす」  美桜のように、だ。 「全部、美桜が教えてくれた事だ」  だけど、美桜は死んでしまった。私のせいで。 「先生…」  じわりと涙が滲む。 「助けてください。お願いです。助けてください。私は…死にたくない!」 「悪いが、もう会議に戻らなくてはならない」  先生は私の腕を振り払い、ドアの方へと歩いて行く。 「お願いです!助けて!」  ドアに手をかけたまま、先生はふと立ち止まる。私の方を見る事もなく言った。 「嫌われずに生きていく事など不可能だ」  ガツンと、頭を殴られたような衝撃が襲う。 「じゃあ、私は…」  絶望、という言葉を私は初めて体感した。死ぬしかないのだろうか。私は。たった一人。美桜のように、手首を切って。  先生はドアの向こうへと姿を消す。 「私は…」  涙が溢れる。膝がガクガクと震え、その場に座り込む。 「嘘よ。こんなの…嘘に決まってる。私は死なない…たとえ誰かに嫌われたとしても…」  またしても激しい痛みが頭を襲い、私の希望は打ち砕かれる。  窓の外が茜色に染まっている。頭が痛いのは、病のせいではなく涙が枯れるほど泣いたためだろう。  ふらりと私は立ち上がる。 「私は…死にたくない」  机の下のゴミ箱を探り、美桜の書いたメモを取り出す。これは決して人に見られてはいけない。  メモの裏側に何かが書かれている事にふと気付く。先ほど先生に見せられた時には無かったはずだ。ぐしゃりと丸まったメモを広げ、私は目を見開く。 『クラスの中に同じアザを持つ生徒がいる』  貴先生の文字だった。
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