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エピソード5
委員長の声が、まるで死刑宣告のように響く。
「これから体育祭に向けてのクラスミーティングを始めます」
背中を汗が伝う。膝がガクガクと震え出す。
「まず、スローガンについて…」
確かあれは中学2年の体育祭での出来事だ。リレーのアンカーに選ばれた女子が、ゴール直前に派手に転び、一気に3人の生徒に抜かされた。そのクラスは順位を大きく下げ、体育祭の後、彼女はしばらく学校に来なかった。仲の良いグループから外されたのだと誰かが噂していた。
決して、彼女のようになってはいけない。口の中がカラカラに乾いていた。
「では次に、出場種目を決めたいと思います。希望の種目に手を挙げてください」
この高校の体育祭は全員参加だ。選択を間違えたら、私は死ぬ。
「バスケットボール」
何人かの生徒から一斉に手が挙がる。主にバスケ部の生徒だ。私は石のように固まっていた。狙うのは出来るだけ地味で、責任のない競技だ。
「佐渡さん、桐原くん、…」
手を挙げた生徒の名前を書記が黒板に書き並べていく。その中には、昨日、小テストの範囲を質問してきた彼女の名前も含まれていた。『昨日はごめんね。メール打ちながら寝ちゃって…』悪気なく笑う彼女に、私は曖昧な笑みを返す事しか出来なかった。
「宇佐木くん」
クラスで一番人気のある宇佐木拓磨だ。背が高く、誰にでも気さくで、スポーツも勉強も得意。まるで御伽話の王子様だ。
「キャプテン、よろしくね」
「おう」
委員長の声に、彼は軽く腕を上げて答える。
私も彼みたいだったら、こんなに苦しむ事は無かったのかもしれない。太陽のようなその笑顔を私は初めて羨ましく思った。
委員長は黒板に書かれた『バスケットボール』のバの文字の上に花丸を付ける。
「次、バトミントン」
また、いくつかの手が挙げられる。心臓がドクドクと脈打つ。私はまだ動かない。
「高橋くん、小島さん、相沢さん…」
この中に同じ病の生徒はいるのだろうか。私は左腕にはめた時計をそっと撫でる。この数日間、アザのある生徒を探して目を光らせてきた。だけど、「見える部分」には花びら型のアザを持つ生徒は見つからなかった。もし、美桜のように胸にアザがあったのなら、私には気付く事は出来ない。服を全て脱がせでもしない限り。唇を噛み締める。血の味がした。
「あと2人、誰かいませんか?」
ぱらぱらと手が挙がる。
「日辻さん、音住…くん。ありがとう」
日辻由香里。美桜の親友。心臓が跳ねる。彼女は二つ隣の席の音住慎吾に向かってひらひらと手を振った。
「よろしくね、ねずみちゃん」
美桜の死から4日。あれほど泣いていた事が嘘のように、今、彼女は元気に見える。他のクラスメート達も同様だ。時折、涙ぐむ生徒はいるが、それ以外はまるで最初から古具間美桜などいなかったかのように、皆「日常」を取り戻している。その事を恐ろしいと思うのは、私が美桜と同じ立場になるかもしれないからだろうか。
「…よろしく」
音住はぼそりと呟く。と、クラスの誰かが嘲るような声で叫んだ。
「お前、『どっち』に出るんだよ」
追従するいくつかの笑い声。
「ちょっと。もちろん男子の方に決まってるでしょ。ねえ、音住くん」
困惑顔の委員長に音住は答えず、頬杖をついたまま窓の外を眺めている。
中性的な顔立ちに、女子の制服、そして長いポニーテール。胸元のポケットには小さなクマのヌイグルミ。人の事は言えないが、音住は少し変わった生徒だ。そして変わっているという事は、常にからかいの対象となる。
「つまんねー奴」
ぼそりと、誰かの声が呟く。心臓がドクっと跳ね、私は胸元を手で押さえる。大丈夫。今のは私に言ったんじゃない。私は嫌われていない。
ちらりと音住を見る。彼は、からかわれた事など気にしていないように、長い髪をくるくると指で弄んでいた。おそらく彼は、アザのある生徒ではないのだろう。たとえ対処法があるとはいえ、あんなに平然と人の悪意を受け止める事は出来ないはずだ。私は彼を心底恨めしく見つめた。
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