001 冬の話

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001 冬の話

冬の話をしよう。 『冬はつとめて』と少納言先輩は豪語するが、寒がりな性分にとって、冬の朝こそ敵である。 もしかすると、ここが雪国だからなのかもしれない。 朝、意識を取り戻す過程で、一度は心臓を締め付けられるような痛みが襲う。そして、意識が完全に戻ったところで、布団の暖かさに気づく。僕らにとって布団とは生命線で、こいつがいなければ今頃生きていないと言っても過言ではない。 外という過酷な環境。布団という天国な環境。 後者をとるのは言うまでもない。 そして、遅刻すれすれまで二度寝を敢行する。 「おい、いつまで寝てんだ」この声がするとき、それはまどかさんもまた遅刻しかけているときである。 「ほらー、学校行くよー?」この声がするときは、うてなが上機嫌な時だ。 「じゃ、仕事手伝ってよ」これは言うまでもなく兄貴だ。 そんな風にして、ようやく布団から出る。夏の朝は祖の真反対と言ってもいい。 冬。寒くて、冷たくて、痛い季節。春から始まった生活にも慣れ、そろそろ別のことに目を向けられるようになる季節。あるいは、未来と、人生と向き合わなければならない季節。 あと、風邪を引きやすい季節。 「びぇっくしょい!」 うてなの豪快なくしゃみのおかげで、僕は授業中に襲ってくる睡魔を退治することができた。 それにしても、隣のクラスからくしゃみが聞こえてくるって、どんな肺を持っているのだろうか。バドミントン選手もびっくりな初速を叩き出している気がする。もちろん彼女の心配もあるが、それよりも他のクラスメイトの心配の方が勝ってしまう。 特に隣の席のやつとか。 顔も名前も知らないけれど、この距離でそれを聞いてしまったら、鼓膜が破れていてもおかしくないと思う。 6月22日、金曜日。 世の中は、W杯で盛り上がっている。僕はそこまでスポーツに詳しくは無いのだけれど、テレビや生徒たちの盛り上がりを見る限り、相当人気のある大会らしい。 特に男子。おいそこ、教室のど真ん中でゴールパフォーマンスしない。お前が決めたわけじゃないから。あとそこ、異性同士で抱き合わない。付き合ってるならセーフだけれど。 こんなことを考えていると、突然悲しくなる。 切り替え、切り替え。 購買で売っていたサンドイッチに食らいつく。 「ねえ、また私が大声でくしゃみしたと思ってるんでしょ」 昼休み。うてなは、チャイムとほぼ同時に僕の教室へと走りこんできた。顔は火照り、なんだか恥ずかしそうに息を切らしていた。 「何も言ってないんだけど」 僕の正当な抗議は「あーもう」のうめき声に似た何かによって掻き消されてしまった。 「もう。それって、君が抱える世界のせいだかんね?」 世界。人はだれしも一つは持つと言われているもの。正式名称は、『個人世界(パーソナルワールド)』。自分が願った一つの特徴だけが誇張してできる自分の世界ということだ。 それは、たまに才能と呼ばれる。 僕の世界は、『反響世界』。聞きたい音だけ、通常よりもはるかに大きく反響されるというものだ。 どうしてこの能力だったのかは、本当に知らない。 知らないというか、覚えていないというか。 「しょうがないだろ、だったら」 「しょうがなくない。恥ずかしいところ聞かれてるんだから」 ふんっという擬音が似合うほどの大げさなリアクションをとる。その割には、手に持つサンドイッチをちまちまと食べる。 「というか、僕の元でこんなに聞こえたのなら、多分前の方の席の人はほとんど聞こえてると思うぞ」 僕の、多分が初めに置かれ最後には知らんけどがつくようなそんな持論を、彼女はあっさりと納得し、落ち込んでしまった。 「そーなんかなぁ」 何をそんなに恥ずかしがっているのだろうか。別に、生理現象なのだから、怒られても恥ずかしがることじゃないだろうに。 「いや、でも、完全に気抜いてたし」 「ふーん」 彼女―外村うてなは、大抵気を抜いているように思えるのだが。 「それより、」彼女は、食べていたサンドイッチを置いて、両手で机をバシンと叩いた。 「相談があるんだけど」 真剣なまなざしに少したじろいだが、断る理由も権利もない僕は、ただ黙って話を進ませることしかできなかった。 「どうぞ」 彼女は自慢げに背筋を伸ばした。すると、ポケットから紙を取り出した。凝視すると―いや、凝視しなくともわかるのだけれど―、可憐な女性が満面の笑みを浮かべている写真だった。 「どちら様ですか?」 僕の疑問を、彼女はすぐに解消してくれた。 「この子、知らない?」 訂正。解消はしてくれなかった。 「2年前……だから、中3までソロでアイドル活動していた子なんだけどね。それで、同じクラスなんだけど、全然学校に来ないのよ」 確かに、言われてみれば見たことがあるかもしれない。記憶が無くとも、見た目だけで判断するなら、アイドルにふさわしいだけの容姿を持っていた。 100人に訊けば、90人は可愛いと答えるだろう。中学生でこのクオリティはなかなか生まれない。 「それで、その子を学校に呼びたいと」 「いや、そうじゃなくて。もう一度ステージに立ってほしいってのが、今回の依頼なのよ」 そんな依頼を受け入れられるほど、便利屋になった覚えはない。 僕らができることと言ったら、手助けではなく後処理の方だ。『世界』が起こした事件の後始末、尻拭いをするくらいなもので、だからその人の願いなど手伝いようが無いのだ。 「でもさ、これからも付き合っていく隣人さんだから、叶えてあげたいじゃん?」 天使のような潤んだ瞳に勝てるほど、僕の心は強くなかった。 「じゃあ、せめてその人と会わせてほしい」 「ありがとっ」 彼女はウインクで僕に合図する。 「オーケイするとは言ってない」 「ありがとっ」 彼女の意思は強く、折れたのは僕の方だった。 「じゃあ、フリースペースで」 了解という答えを出す前に、彼女は天の使いのような優しくも柔らかく、この上ないほど恐ろしい笑顔で去っていった。 「あーあ、僕らに何ができるっつんだよ」 窓から見える景色は、冬には見ることできない日本晴れだった。 残り僅かのサンドイッチを口に放り込み、午後の授業に備える。
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