002 楢本渉

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002 楢本渉

もはやとある部室が如く使われつつあるフリースペースに、僕らは向かっていた。 「つーか、その肝心の相談者というのは、一緒じゃないのか?」 すると、彼女はふふっと微笑んで、「それはね」と一呼吸置いた。子供のような楽しそうな笑みを浮かべる。 「もう先に行っているからだよ」 だろうな。 そう、だろうな。 それ以外ねーよ。 「えー、そんなことってあるのかー?! てっきり、僕は先に帰っちゃったのかと思ってひやひやしていたけれど、そっちのパターンもあったのかー! これは、一本、とられたぁ!」 棒読みリアクションに一瞬たじろいだうてなは、ぷふっと吹き出し、「引っかかってやんのー」と本格的に笑い出した。 アホの子なのかな。 「まあいいや」 ん? と首をこてんと倒す彼女を横目に、僕は歩く。彼女は慌てて僕の後ろをついていく。そして、僕の後ろ首を突く。 「痛ってぇな」 「置いてくなし」 「置いてってねえよ」 「ならいいけど」 少しだけ、彼女の足音が明るくなった気がした。 「いちゃいちゃしないでもらっていい?」 フリースペースの廊下でばったりと出会ったのは、僕よりもはるかに身長が高い、一般的にイケメンと呼ばれる部類の男だった。 その辺のイケメンなら、「うざったいな」と思う僕であるが、この人はそのレベルをはるかに上回る格好良さで、僕は少しだけ惚れてしまった。 どうして、人はイケメンをうらやむのか。 それは、イケメンという免罪符が様々なところで有効だからだ。 どうして、イケメンは誰にでも優しいのか。 それは、うまくいかないことが少ないからだ。 いいな、イケメン。 元から格好いい奴は、大抵性格もいいんだよなぁ。 「羨ましいなぁ、こんな可愛い子が友達だなんて」 ほら、このたった一言で「あれ、こんなイケメンでも羨ましいって思うんだ」という政治家の庶民発言みたいな親近感を抱かせて、さらに女性を褒めていく。そして、そんな子の隣にいる僕を、間接的に持ち上げる。 ほら、僕のことなんか一言も言っていないのに僕は嬉しい気持ちになっている。 「それって、君が勝手になっているだけじゃ」 小声でささやく彼女の声に、僕は紅潮する。 向かいでほほ笑む彼の笑顔に、僕もまた苦笑いを浮かべる。 格好いいと思うけれど、だからと言って得意とも思えない。まあ、そんなこと言ったところで、多分彼も僕のことやりづれえとか思いながら会話してんだろうなぁ。 「今日は、宜しくお願いします」 丁寧なお時宜にたじろいでいると、彼はフリースペースのドアを開けて、中に入るよう催促した。その一つ一つの所作が美しく滑らかで、僕はぎこちない会釈をしてしまった。 完全に彼のペースになりつつあるこの環境。当たり前のようにお茶を淹れ、さも当然のように僕らに手渡す。 「ありがとう」僕の言葉を聞いて、彼は「いえ、これくらい」微笑む。まるで、執事でもしていたのかと言わんばかりの見事な気遣いである。 うてなもそれには共感してくれているようで、「これくらいできるようになってよ」と小声でつぶやいた。 その前に、それくらいやってもらえるようなレディになれよ。 僕の目線に気づくうてなは、「うっさい」と小さい声ながら吐き捨てた。 彼が、この状況を静かに見守っている。 切り替えなければ。 「僕は、楢本渉(ならもと わたる)と言います」 「僕は、瀬川十哉です」 「私は、外村うてなですっ!」 一通り自己紹介を終えたところで、僕は口を開く。 「それで、話って何ですか?」 彼は、少しだけ下を向き、すぐに上を向いた。まるで、なにを言うか考えるのではなく、なにを言わないでいるか考えているように、なんとなくそう見えた。それが、僕の早とちりであって欲しいものだが。 「冬って、好きですか?」 唐突な疑問に僕は驚いた。これは、素直に驚いてしまった。 「……え?」 「僕は、嫌いなんですよ」 重く鋭い言葉は、僕の心に刺さった。別に、春夏秋冬どれも好きなわけでも嫌いなわけでもないが、それでも嫌いというフレーズはどうにも受け入れがたいものがある。 嫌いと苦手は別物だ。 「どうしてですか?」 そんな重い空気を気付いているのか気付いていないのか、彼女は能天気な声色で尋ねる。 彼は、少しだけ考えて「そうですね」と相槌を打つ。 「寒いと心も寒くなる。雪の白さは、心の黒さを際立たせる。なんて事のないことでさえ、この時期は神経質になる。坊さんも走るくらい、せわしない季節だから、余裕がなくなる。それが、理由なんです」 彼は、そう言うとひどく落ち込んだ。彼の心が読めない。 相談事とは、何だったのだろうか。 それとは、関係ないような気がするのだが。 「あれ、何の話でしたっけ」 「え、だから冬が好きとか嫌いとかって話ですよね?」 彼との「意志疎通が図れていない」というところで意見が一致した。僕と彼は目を合わせて、ある一点を見つめる。 ある一点の先には、「え、なになに?」と少し照れている女性がいる。その脳の中では何が広がっているのか定かではないが、彼女は突如頭の上に手を乗っけて、もう片方の手で「お手柄ですか?」と言いながら親指を立てた。 楽しそうなところ悪いんだが、絶対に話がかみ合ってないぞ。 「あ、あのどういう経緯でこうなったのか、教えてもらってもいいですか」 僕の質問に丁寧に答える彼を見て、全てを察した。 「ええと、日本史の授業中、彼女から話しかけられまして。どこか分からないところがあったのかなと思いながら訊くと『春夏秋冬で、好きな季節、嫌いな季節ってありますか』と訊きかえされたので、どうしてその質問だったのか分かりませんでしたけど、答えました。それが引っかかったのか、『それなら、好きにさせてあげよう』と言って、こうなったわけです」 こりゃ、いつもの『勘』だな。 隣では、まだ気づかない彼女がいた。 そんなことかよ。だったら、僕にできることなんて本当にないじゃないか。
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