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003 アドバイス
「どうしてここにいるの?」
あの後。話の見えない僕らをよそに、うてなは帰宅してしまった。というのも、「なんか、びびっと来ちゃった! これは大物かもしれない!」らしい。彼女には、常識というものを教えなければならない。まどかさん辺りに相談しようかな。
結局、写真に写った女性と、彼との関係を聞くことはできなかった。何となく憚れてしまったのだ。
そして、初対面二人は、たわいもない話をいたたまれない空気の中数分したのち、彼は先生に呼び出されていった。
フリースペースに一人。
咳をしても一人。
「まさか、あんなにバカだとは」
人の悪口を言うのは、人間としてやっていはいけない禁忌のうちの一つであり、まして誰もいないところでそれをしてしまうのは言語道断だが、しかしこれだけは言わせてほしい。
「補習完全制覇って、そんなことあるか」
全ての教科において、補修が組まれているらしい。出席日数は足りているが、提出課題が出ておらず、テストも毎回赤点回避まであと2点というところで赤点に沈むらしい。
先生に呼ばれたのも、それが理由らしい。
まあ、難しかったし。弁明してあげたくもなる。
「そんなことは、どうでもいい」
そう独り言を言って、切り替える。
彼の話に、その情報は必要ない。
とりあえず、彼とうてなの話について、整理するべきだろう。
「なんであいつって、折角頭良いのに、肝心な言葉が抜けるんだろうな」
社会で通用していけるのか、時折心配になる。
まあ、僕にされたこと自体が、可哀想ってものか。
「よし」
僕はフリースペースにあったホワイトボードに手を伸ばし、自分の座る椅子に寄せた。
「カタカナ多いな」
自分で言った独り言に笑うほど、僕は寂しい人間になった。
切り替え、切り替え。
「まず、彼の話から」
彼は、冬が嫌いだと言った。
心の黒さが見えるから。
神経質になるから。
余裕がないから。
嫌いだと言った。
その言い草から、態度から、後悔が見えたような気がした。
心の黒さは、自分の性格の悪さを。
神経質は、怒りを。
余裕がないのは、フォローが無いということを。
それぞれ表しているのかと、勝手に愚考したからだ。
「単純すぎるよな、そんな理論」
色々書いたホワイトボードは、もはやホワイトの部分が少数派になっていた。なんだかんだ、謎解きに関して僕は全くの素人であることを露呈しただけだった。
「じゃあ、次はうてなの話から」
少女は、元アイドル歌手である。中学の時に辞めたそうだ。
そして、今はうてなと同じクラスに所属しているらしい。しかしながら、登校してきたことは無いという。
隣の席の楢本君と何かしらの関係があるらしい。
「待てよ」
あいつが、珍しく―それはもう、天変地異でも間に合わないくらいの珍しさで―間違えていたとしたら、彼は別にそんなつもりもさらさらなく、単に『同じクラスの人だから』という理由だけで、そう言ったんじゃないのか?
「いや、彼の依頼はそうじゃない」
学校に来てほしいのではなく。
ステージに立ってほしい。
依頼は確かそうだった。
「もう、あいつの言っていることが本当なのか嘘なのか分かんなくなってきたなぁ。なんであいつ、適当ぶっこむんだろう」
こういう時は、仮定するのだ。数学で学んだように、場合分けをして、定義を整理して、定理や公式を用いて、答えを導く。
さあ、仮定しよう。
もしも、外村うてなの話が間違っている場合。
つまり、単に不登校の元アイドル歌手を、クラスメイトとして見ている場合。
どこかに、矛盾はあるのか。
可能性を考慮しろ。
整合性に配慮しろ。
選択肢を思慮しろ。
「途中式が分からないから、矛盾ではないと言えないのか」
もしも、外村うてなの話が本当だった場合。
つまり、不登校の元アイドル歌手を、彼が応援していた場合。
どこかに、矛盾はあるのか。
選択肢を思考しろ。
整合性を熟考しろ。
可能性を選考しろ。
「途中式は分からないけれど、矛盾だとは言えないのか」
途中式が分からない以上、答えは導き出せない。
明瞭だった。明白だった。自明だった。
「駄目じゃん、結局」
はぁ、とため息を漏らす。僕の気持ちをそのまま移したように、ホワイトボードはゆっくりと遠のいていった。
窓から見える景色は、冬とは程遠い夏空だった。
「冬、ねぇ」
冬。僕は、まともに雪を見たことがない。
昔は雪国ともいわれており、幼少期に空前絶後の大雪が降ったらしいが、その頃は幼少期も幼少期、ほぼ乳児期と言っていいくらいの年で、記憶の中にあるはずもなかった。
それから、この町はどんどん暑くなっていくので、一度たりとも雪が降っていない。辛うじてみぞれが降った程度だ。それにしたって、ほとんど雨みたいなものだった。
そんな街にもかかわらず、外気温は本当に寒かった。
ところで、皆さんは「さ・つ・い」の合言葉をご存知だろうか。知っているわけないだろう、なにせこれは僕が考えたのだから。
黒歴史になる前に、さっさと公開してしまおう。
春が過ぎて、夏が通過し、秋も暮れたころ、大体10℃を下回ったころのことを「寒い」という。
そして、0℃に近くなるころを「冷たい」という。
最後に、氷点下に到達すれば、それを「痛い」という。
「寒い」「冷たい」「痛い」の3点セットで、「さつい」なのだ。
皆、さついで覚えるように。
殺意を覚えそうな天気だが。
「何言ってんだ、こいつ」
こいつとは僕のことだった。
窓に近づき、グラウンドを眺める。
野球部が白球を追いかけ、サッカー部が球際でしのぎを削っている。ラグビー部が花園を目指し特訓に勤しんでいる中、テニス部は、その緑色の弾を頭脳戦で動かしている。
「すげえよな、皆」
僕にはスポーツの才能が一切なかったので、運動部に入ろうという気は起きなかったが、彼らには脱帽する。
瞬間。
彼らは、突如として動きを止めた。
そして、電池の切れたゲーム機のように景色は暗転した。少しだけびっくりしたのち、ふと気づく。こんなことをできるのは、彼女しかいないと。
部屋の電気をつけたり消したりする感覚で孤独な世界を造れる少女。僕は、この状況を完全に把握したうえで振り返る。
すると、驚いていたのは、僕だけではなかった。
彼女もまた、びっくりしていた。
「どうして、ここにいるの?」
反射的に出て来たであろう言葉は、彼女の思いがこもっておらず、定型文のようで、その形骸だけが耳をくすぐった。
「先輩こそ、どうして?」
「未桜でいい」
「未桜先輩こそ、どうしてここにいるのですか?」
お決まりの流れができている辺り、落ち着いてはいるようだ。
「どうしてって、これから一人の世界に入ろうかと思ったから」
「だったら、帰ればいいじゃないですか」
彼女は、僕の家の隣で一人暮らしをしている。
「帰ったら、本当に一人じゃないの」
頬を膨らませて怒る彼女は、腕を組みながら壁にもたれかかった。一人になりたかったのでは?
「まだまだ、私を知らないね」
強気に言われてもなぁ。で、そのどや顔はいったい。
小さな体躯で大人びた態度をとられても、あまりピンとこない。
というか、そのギャップが面白可愛かった。
「……」
途端。彼女はある一点を見つめながら、考え始めた。彼女は思考を巡らせると、もう誰が声をかけても反応しない。
「ねえ、君」
ようやく終えたのか、視線はこちらに動いた。
「今回は、『個人世界』の案件じゃないのに、どうして悩んでいるの?」
彼女の指摘は確かに的を射ていた。
「それは、うてなから依頼されていて」
「ふーん。うてなさんだから、ってことなんだ」
うわかわいいなんだよびっくりした。
「いや、別にそういうわけじゃ」
彼女が嫉妬をしている。わかりやすく妬んでいる。頬を膨らませ、怒りを抑えているのが分かる。
可愛い。
「そんな不埒な瀬川十哉君には、ヒントを差し上げません」
僕の名前をフルネームで言ってくれたことに対する歓喜で危うく聞き逃すところだった。
「ヒント? ヒントって、どういうことですか?」
「いやいや、解ってないならいいもん。絶対答えてあげない」
どうしたんだ、今日。いつもはクールな感じで僕を困らせていたのに、今日は甘えん坊な感じで僕を困らせているじゃないか。
「はあ、本当にダメな子なんだから」
僕はまだ何も言っていないのに、彼女は口を開いた。
「しょうがないから、1個だけヒント、教えたげる」
本当にどうしてしまったんだ。
「なんですか?」
「『個人世界』を有効活用すること」
そう言って、彼女は教室から去ってしまった。
「……有効活用」
呟いたが、ピンとは来なかった。
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