006 一筋の光

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006 一筋の光

翌朝。感覚を取り戻す段階で感じた重みに違和感を覚えつつ目を開けると、僕の腰には小学6年くらいの少女が座っていた。 「何をしているのでしょうか」 寝ぼけまなこを擦りつつ、よく彼女の姿を見る。綺麗な亜麻色の髪。くりっとした瞳。服は、Tシャツに青のオーバーオール。そして、泣いているように見えた。ここで、ようやく耳が聞こえないことを思い出す。 僕は、慌てて指先でメモ帳のジェスチャーをする。すると、分かってくれたのか、彼女は服の真ん中にあったポケットからメモ帳を取り出した。 『どうしたんですか?』 そう書くと、少女は焦るように書きなぐった。 『ゆうれい!』 そして、ドアの方を指差した。怖がっているというよりは、少し怒っているように思えた。 僕の返答を聞かずに、彼女は僕の腕をつかんで無理やり布団をはぎ取った。夏だから、寒いわけではなかったけれど、それでも眠い時に無理やり剥がされるのは良い気がしない。そう思う反面、女子小学生ってこんなに力強いのかと思った。意外にも、小学生の、異性同士による喧嘩は、手加減せずとも女子が勝つのかもしれない。 そんなことを考えていると、僕を引っ張っていた彼女はすたっと止まった。そして、向かって左の部屋を指差した。 そこは、兄貴の部屋だった。 彼女の名誉の為、弁明をしてあげよう。彼女がこの家に上がってから、一度も兄貴は部屋から出ていない。だから、人影すら感じなかったのだろう。そして、その兄貴は、確かに細い。彼曰く細マッチョらしいが、端から見れば完全なやつれた男なのだ。 『彼はね、うちの兄貴なんだよ』 手に持っていたメモ帳を借りてそう書いて返すと、彼女は慌てて『ごめんなさい』と書いた。 大丈夫だよ、と合図をしたところで、彼女は元の姿に戻った。 「戻った」 僕の呟きに、彼女は何となく察したのか、体のいたるところを触って確認した。 『戻りましたか?』 みせられてメモ帳の文字は、先ほどの小学生が書いていた丸文字とは打って変わって大人の字だった。 『戻りましたよ』 そう返すと、深いため息を吐いた。 とりあえず、元に戻って良かった。 朝食を作るため、僕らはリビングへと移った。すると、彼女は『私、料理得意なんです』と自信たっぷりに立って見せた。仁王立ちにサムズアップの、完全形態だ。いつ彼女が幼児退行するのか分からない以上、僕の視線は慎重を極めたが、幸運なことに、料理中の退行はなかった。 感想は以下のとおりである。 こんなに上品で美味しい焼き鮭を食べたことは無かった。 こんなに柔らかくて優しい白米を頂いたことは無かった。 こんなに絶妙な塩加減の味噌汁を飲んだことは無かった。 言語の限界を超えた美味しさを必死こいて伝えていると、彼女は『ありがとう』と照れくさそうに返してくれた。 そんな風に朝食を楽しんでいると、僕の携帯は先輩からのメールを通知した。 「なんだろう」 確認すると、『朝8時に、私の家に集合で』という内容だった。 内容がないようだ。 『どうかしましたか?』 心配そうに窺う彼女に、僕は笑顔で『大丈夫ですよ』と返す。そして、『猪口未桜の家まで、行きましょうか』と提案すると、一瞬困った表情を浮かべたが、すぐに微笑んで『分かりました』と返してくれた。内容がない以上、僕もこれ以上喋ることは無かったので、正直なところ、とても助かった。 『あの、どうしてかって訊いてもいいですか?』 片づけの途中、彼女はスマホで見せてきた。 ……スマホあったんかい。 確認していなかったけれど、あるならそっちの方が速くないですか? しかも、読み上げ機能まであるやつ。 『これは、昨日インストールしたやつで、普段携帯なんてほとんど使いませんし、でも、少しの間お世話になるのなら、こういう便利なものも使った方が良いのかなと思いまして』 本当にこの人普段使っていないのだろうか。それくらいのスピードでこの長文は打たれた。 考えてみれば、小学生に戻った時、スマホを使えるかと言われたら、割と使えないのかもしれない。今の小学生なら難なく使っているのだろうが、僕らの小学生のころは、小学生界隈ではまだ携帯やスマホは浸透していなかったし。 『僕にもわかりませんが、多分助けてくれるんだと思いますよ』 音声入力機能があったので、僕はスマホを近づけてもらい、伝えた。言葉は一言一句しっかりと聞き取ってくれた。 すると、彼女は黙ってしまった。何か、悪いことを言ってしまったのだろうか。 そんなのは杞憂だった。 『ありがとうございます』 彼女は、泣きながらそう打ち込んだ。 『親も、学校も、医者も、みんな分かってくれなくて。援けようとは、してくれなかったから』 綴られた文字列に考えることはいくらでもあった。 擁護するつもりはないが、彼らもそれ以外に方法はなかったのだろう。こんな状況になって助けてようとするの方が無茶な話だ。 指を立てて、もう一回と合図する。 彼女は、不思議そうにスマホを近づける。 『多分、彼女らも助けるつもりなんか無いんだと思いますけどね。この不思議な現象の法則を知りたい。ただそれだけだと思います。あわよくば、原因も知りたい。つまりは、そういうことだと思います』 困っている人を救いたい。そんな考えを持った人と、僕は友達になったことは無い。 類は友を呼ぶ。 僕もまた、その一人だ。
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