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別れ
別れ/その1
ケイコ
私たちは病室を出て、その階のロビーで長椅子に腰かけた
今日、私はオカンと妹の美咲の3人で、一緒に亜咲さんのお母さんと面会した
おばさん、神戸の病院に移ることになったんで、みんなで最後のお見舞いに来たんだ
で、亜咲さんもあっちでアパートを借りることになったそうだ
まもなくお別れだ、亜咲さんとも
しばらくすると、亜咲さんがロビーにやってきた
...
「あ、おばさん、さっきの餞別、あんなにいっぱいもらっちゃって。母が封筒分厚いから、確認してみろっていうもんですから、すいません、中を。丁重にお礼、言って来いって。母も恐縮してて。お心使い、ありがとうございました」
「いいのよ。咲江さんには、本当にお世話になったから。”あの時”、助けてもらってたこととか、絶対忘れないわ…。お大事にしてやってね」
「はい。今日は皆さんで来てもらって、母、とても喜んでました」
「咲江さんとは長いお付き合いだしね。淋しいわ。いろいろ思い出しちゃって、思わず涙がでてきてね、ゴメンね、亜咲ちゃん。最後なのに、しんみりさせちゃったわね」
「いえ、ウチも昔のこと思い浮かべて、先に大泣きですもんね。返ってすいませんでした」
...
高原家と横田家はお隣同士で、家族ぐるみの長いお付き合いだった
もともと、私が生まれる前、建売の2棟現場だった今の家を、ほぼ同時に両家が買って、まあ、それ以来ずっとって訳だ
周りは田んぼばっかりで、ホントは家建てられない場所だったそうで、とにかく最近まで2軒だけポツンと建ってた東京の飛び地でね
そういうことで、いわゆる訳あり物件を購入した2軒が、共に手を携えてって、そんな感じだったと思う
私は物心つくと、年中、亜咲さんと一緒だった
どっちが自分の家かわからないくらい、お互いに行き来しててさ…
やがて、妹がオカンのおなかの中に宿った
で、出産間近になって、オカンの体調がおかしいということで、入院となったんだ
うち、お父さんが商社マンなんで、ずっと海外赴任だったから、幼い私は亜咲さんとこに預けられてね
おばさんは、毎日のようにオカンの病院に通ってくれてたらしい
それこそ、身の周りのこととか、全部引き受けてくれてたって
出産は結局、帝王切開ということになった
後から聞いた話じゃ、母子とも状態は、決しておもわしくなかったんだって
...
オカン、よく言ってたわ
夫がいなくて不安な気持ちを、おばさんに励ましてもらって、どんなに勇気つけられたかって
出産当日は付きっきりで、妹が無事生まれた時は、我が子のように感激して泣いてくれたらしい
未熟児で生まれた妹も、産後は順調で、親子そろって退院となった
私もうっすらとした、断片的な記憶はある
とにかく、記憶ではみんな女だったなあって…(笑)
うちの両親は、お世話になったおばさんとオカンの一字をとって、「美咲」と命名した
これ、私の母校の小学校名物、”名前の由来”って作文の授業で、みんなの涙を誘ったらしい
美咲とはたまたま担任が同じで、「お姉ちゃんも、いい話だったしねえ」とか、言ってたようだ…
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