その6

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その6

暗い穴の中⑥ やがて父は高校を卒業し、その2年後には旧校舎は取り壊されたそうです。 あの防空壕にあてがわれた暗い穴も一緒に…。 「…”あのこと”を聞いたのは、卒業して数年後、高校時代の友人が集まった時だった。BとC子が心中したと…。旧校舎、すなわちあの暗い穴がなくなって、さほど経たずに」 「…」 私は絶句しました。 「もちろん、OBのおじいさんが残した話がすべてだとは思わない。でも、自分が関与したあの二人の解決に一るの望みでもあったのならば、もっと熱意を持って二人に別れさせることを提言すべきじゃなかったかと、悔やんでいる。お父さんに本当の勇気があったら、二人は心中しなかったかも知れないんだよ…」 「お父さん…」 私は父にかける言葉が見つかりませんでした。 ... 「…お父さんは明代が思ってるほど立派でも、周りから尊敬されるような人間でもないよ。辛かったんだ…、そんな目でみんなに見られることが。ずっと…」 父は長年、消防士として多くの人命を救ってきました。 水泳では地元の小学校から頼まれて、プール指導を長年務めてきました。 その泳力では仕事の場以外でも、川で溺れかかった人命を救ったこともあります。 昨年定年を迎え、数々の表彰を受け、来月には功労市民に認証される予定なのです。 そんな父を私は、子供のころからずっと誇りにしていたのです。 「…功労市民の授与は辞退するつもりだよ。近いうち、今の自宅も処分するか賃貸に出し、どこかよそで暮らそうとも思っている。今までの自分の皮を一度脱いでから、こらからの老後を生きていきたいんだ」 「お父さん…、私…」 私は父が今までずっと心の奥に閉まってきた胸中を諮ると、胸が張り裂ける思いを禁じ得ませんでした。 ... 「この話は定年を迎えた時、お母さんには全部知ってもらったよ。それで、許してもらった。今日、明代に告げた。豊は社会に出てまだ日が浅いから、もう少ししてから明かそうと思っている」 私は思いました。 父は周りから立派な人間として見据えられることと常に戦いながら、私たち二人の子どもを育ててくれたんだと…。 無論、今回の告白を聞いて、私が父に抱く思いにいささも揺らぐことはありません。 今日のお父さんとの”ベンチのひと時”… それは”大人”になった私にとって、忘れることのできない”特別な時間”になりました。 そして…。 あれ以降、私は時々考えるのです。 もし、あの穴の”伝説”が本当であったのなら、あの穴が存在しない今、BさんとC子さんのような運命をたどる人はもう現れることはないのかと…。 だとすれば、あの穴に宿っていた、空襲で命を失った無念という、深い”情念”はどこへ行ったのでしょうか…。 暗い穴の中 ー完ー
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