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今頃、わたしの地元では空気から家々まで、九十五デシベルの猛攻を浴びているだろう。
立案と予約は昨夜のうちに済ませてある。いつもお昼近くまで寝ているわたしが朝七時前には起床できたことがまず異常事態。
ピンクと白のBaby, The Stars Shine Brightのロリィタ服でこの身を鎧い、ヘッドドレスを付け、それに可愛らしいうさぎ模様のキャリーバッグ──ある意味わたしとしては最強の勝負服かもしれない。
駅までは歩き。
映画「下妻物語」の深田恭子さんの台詞のように、ロリィタ服で自転車など似合わなすぎて乗れないから。ならタクシーを呼べば……という話になるけれど、それはロリィタ服と書籍代でいつもお金がないから、却下。
キャリーバッグの中には昨夜からちょっと読んでいたニイチエの御本が入っている。「ニーチェ」じゃなくて「ニイチエ」。
昭和十四年発行、昭和十六年第二刷の、わたしが持っているなかではもっとも古い本。ニイチエの『惡意の知慧』表紙のタイトルはまだ右側から書く時代の本なので、当然『慧知の意惡』と印刷されている。
変な話だけど、甘ロリ服にかなりの時を経てきた古書。お汁粉に入れる塩のように個人的にはかなりの高ポイント・コーディネート。
そのニイチエの『惡意の知慧』は彼お得意の箴言形式なので、どこから読んでも面白くて蒙が啓ける。
「敵視などでもされてゐる限りは、君はまだ君の時代を超えてゐないのだ。──時代がまるで君の姿を見ることができないのでなければならぬ、君は時代にとつてそれほど高く遠いものでなくてはならぬ」
電車のなかで読んでいるとそんなニイチエの言葉が出てきた。
なるほど、ある一点だけなら、わたしの姿は不可視かもしれない。
というのも九十五デシベルの暴虐は、市議会議員選挙の選挙カーの騒音だから。あの連呼が五分に一度は襲いかかってくる。
スマホアプリのMP3音楽プレイヤーと、シュアーのイヤフォンの密度で音楽を聴き、なんとかこれまでしのいでいたけれど、さすがに聴き疲れするし、なによりいらいらする。こんなものが民主主義とは考えられない。
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