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ベッドに寝転んだまま片手でカーテンを少し開けるだけで、
夏の朝の青味がかった鋭い光が部屋いっぱいに差し込んだ。
窓際にあるベッドの頭側には棚があり、その上に置かれた金魚鉢は、
プリズムのように強い光をゆらゆらと壁のあちこちに反射させている。
寝転んだあたしの目には、鉢の縁でゆがんだ真っ赤な金魚が、
派手な尾ひれを揺らして一匹で漂っているのが映った。
窓の外のベランダの手すりに、大家さんの植えたみかんの木の葉がこすれて
さらさらと音を立てる。
寝返りをして横を向けば、あたしの顔のすぐそばに奏人の寝顔がある。
手を伸ばして顔を撫でても、起きる気配はまるでない。
伸びかけの髭が指先でジョリジョリと鳴った。
今日、あたしはバイトが無い。
全くもって贅沢な朝だ、と思いながら、
奏人を踏まないように気を付けてベッドから抜け出した。
昨日床に脱ぎ捨てたままになっていたブラとパンティを拾うと、
誰が見ているわけでもないがそれで体を隠しながらお風呂場へと向かう。
向かう、とは言ってもここは1Kのアパート。
ベッドのある8畳のほぼ真四角な部屋の扉を開けると
すぐ左手に洗濯機があり、そこに下着を放り込むと、
洗濯機の向こうのキッチンと向い合せになっている
お風呂場に入ってドアを閉めた。
改築前はユニットバスだったのか、
湯船と洗い場のちょうど間に洗面台があり、
シャワーが湯船側についているため、
ユニットバスではないのに結局湯船の中で体を洗わなければならない。
初めの頃はだまされた気持ちになったものだが、
あたしは別にもう気にしていない。
奏人は体が大きいから大変そうだけど。
蛇口をひねると、すぐにぬるいお湯がでてきて、体の表面を舐めていく。
外は暑いようだ。
「かわいそうだね」
この間お姉ちゃんに会ったときに言われた。
何を言っているのかさっぱり分からないけど。
私はこんなに幸せなのに。
髪と体を流した後、タオルで髪の毛の水分を取りながら
部屋へと戻る。
部屋に入ってすぐ左に置かれたローテーブルの上には、
公共料金の請求書を乱雑に置いたままになっていた。
次の給料日が来たら、すぐに払わなきゃ。
全部払ったら、1万円くらいは無くなっちゃうな。
ちょっと憂鬱な気分。
「かわいそうだね」
頭の中のお姉ちゃんが、意地悪そうに口角を上げて繰り返す。
憂鬱な気分の朝は、甘い物が欠かせない。
あたしは気を取り直してキッチンに向かう。
戸棚にしまってある魔法の食材。
パンの耳の出番だ。
食パンをそのまま食べるより、
サンドイッチとお菓子に分けた方がトキメかない?
フライパンにバターを載せると、サッとところにパンの耳を入れ、
グラニュー糖をかけてまぶす。
部屋にはバターの香りと、少し焦げた砂糖の匂いが漂う。
ふいに後ろから、大きな体に抱きすくめられる。
「うわ、なにこれうまそう」
大きな手が伸びてきて、フライパンから直接つまみ食いなんかして。
「あぶないでしょ」
言いながら、でも作り終わったところなので、火を止める。
怒ったふりをしても、腕の中は心地よい。
起きたばかりの奏人の肌はしっとりと汗ばみ、
洗ったばかりのあたしの肌に吸い付く。
上を見上げると、奏人がこちらを見ながら指を舐めている。
「うまいな。でも――」
ふいに奏人の顔が近づいてくる。
上を見上げた無理な態勢のまま、奏人の唇を受け入れた。
鼻の頭に、無精ひげがチクチクと刺さる。
朝一のキスは、バターの香りと野性味が半々。
「こっちの方がおいしい」
「もう、バカ」
パンの耳の即席おやつを皿に載せると、
水出ししておいた紅茶を2つのグラスに注いだ。
その間、奏人はずっとあたしの後ろに張り付いている。
邪魔。なんて、嘘。
台所に注ぐ朝日が、
グラスを通りぬけて台所のステンレスに赤い影を落とす。
ようやくあたしから離れた奏人が、ローテーブルの上の請求書類を
雑によけたところに、トレーに載せたお皿と紅茶を運ぶ。
奏人はバターの香りを鼻いっぱいに吸い込んでいる。
「貴族の朝食だな」
「伯爵、こちら紅茶でございますう」
「うむ。くるしゅうない」
「伯爵ってかお殿様じゃん」
バカなやりとりをする私たちを、トレーに書かれたおもちゃのキャラクターが
表情も変えずに見ている。
サク、サク、と音を立ててパンの耳をかじると、部屋中の香りの
10倍は濃いバターの香りが口の中に広がった。
「ああ、幸せ」
同時にパンの耳をかじった奏人が言った。
私も、「ああ、幸せ」、と思った。
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