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優しい人
「おい、大地もう帰るのかよ?」
西松大介が呼び止めるが「ごめん、もう限界」と言って走って帰る。
走って帰るくらいの力はある。
そんなに泥酔していてふらふらでこれ以上飲めないという意味ではなかった。
時間的な問題だ。
腕時計を見るとすでに1時を回っている。
「23時頃には帰る」
天音にはそう連絡しておいた。
2時間のオーバーだ。
きっと怒っているかもしれない。
チェーンロックをかけられていても文句の言えない状況。
天音に「今から帰る」とメッセージを送っても返事が来ない。
いよいよもってやばい。
天音を怒らせるのもやばいけど、それを知った母さんが何を言い出すか分からない。
そういう想いが僕を急がせる。
マンションについてエレベーターで最上階に向かう。
部屋の電気はついていた。
恐る恐るカードキーを挿しこむ。
ドアチェーンは無かった。
「ただいま!天音ごめん!」
こういう時は取りあえず謝れ。
父さんが言ってた。
しかし聞こえてくるのは天音の笑い声。
「お前今のは姑息すぎるだろ!」
「そういうシステムになってるんだから文句言うな!私の勝ちだ!」
「じゃあ、次から禁止」
「そんなローカルルール作ってたらこの先ランキング落とすだけだぞ」
どうやら水奈とVCをやりながらゲームで対戦していたらしい。
対戦を終えると「あ、大地帰って来たからまたな」と言ってゲームを止めた。
「お帰り大地。随分遅かったんだな」
「あ、ごめん……」
「飲み会なんてそんなもんだろう。夜食準備しておいた。ちょっと待ってろ」
そう言って天音はキッチンに立つと何か調理を始めた。
そして食卓に出て来たのは焼きおにぎりのお茶漬けだった。
「締めはラーメンだろうと思ったけど何時になるかわかんねーからすぐに出来るものを準備しておいた」
フライパンでおにぎりを妬いて出汁を入れて具を入れて完成。
なるほどね。
「でも、なんで僕が締めを食べてこないと思ったの?」
「大地の事だから私が怒ってると思って慌てて帰ってくると思ってな」
「……怒ってないの?」
「当たり前だろ!大地も男なんだ。多少の羽目を外すくらい許すよ」
ただし女遊びだけは絶対ダメだ。
私と遊んでくれないのに他の女に手を出すなんて絶対に許さない。
まあ、僕にそんな度胸があるとは思えないけどな。
終始上機嫌の天音だった。
思えば天音は時々駄々をこねたり無理難題を言い出したりするけど、僕のやることに文句は言わない。
どうしてだろう?
この際だから天音に聞いてみた。
「その話……長くなるから明日の夜でいいか?」
「別にいいけど、何か理由があるの?」
「まあ、大した話じゃないけどな。早く寝ないと大地明日も大学あるんだろ?」
さっさと食って風呂入って寝ようぜ。
とりあえず天音の言う通りにしよう。
朝も起きると天音が先に起きていて、朝食を作っていた。
「顔洗って来いよ」
言われる通りにする。
「じゃあ、今夜昨夜の続きするから今日は早く帰って来いよ」
「分かった」
どんな事情なんだろう?
天音の兄の空なら何が知ってるかもしれないと思って聞いてみた。
すると空も首を傾げていた。
「あ、ひょっとしたら……」
何か心当たりがあるんだろうか?
「父さんから聞いた話だけど、母さんがそれを天音に話したのかもしれない」
「話?」
「それは天音から聞いた方が良いよ」
ますます謎が深まった。
大学を終えると、今日は誘いを断って家に直接帰った。
夕食を食べて風呂に入ってリビングのソファに腰掛ける。
後で風呂に入った天音が席に着いた。
「じゃあ、話すけど……。お前が気負う必要は一切ないからな」
「うん」
「実は引っ越す前に愛莉に言われたんだ」
愛莉とは天音のお母さんの名前。
お母さんと何を話したのだろう?
「愛莉自身もおばあちゃんからの受け売りらしいけどな……こう言ったんだ」
天音の母さんは引っ越す前日に天音を呼び出すと話を始めたらしい。
「どうしたんだ?愛莉……急にかしこまって」
「天音も片桐家から嫁ぐ身。母さんから言っておくことがあります」
「なんだよそれ?」
「よく聞きなさい。これは母さんが冬夜さんと二人で暮らすときにりえちゃんからいわれたの」
「おばあちゃんから?」
「ええ、大地君とはいずれ結婚するんでしょ?」
「ま、まあ大地がその気になったそうなるよな」
「だから今から心構えを伝えます」
その心構えは以下の通りだった。
例えどんな事があっても大地君の味方でいなさい。例え世界中が敵になっても天音だけは大地君と一蓮托生の気構えでいなさい。
大地君が間違えに気付いてい待ってもじっと見守ってあげなさい。それまでも何一つ意見を言わずに大地君に従いなさい。
大地君が迷ったら「大丈夫だから」と後押ししてやりなさい。亭主の自信は嫁が作り出すの。
最後の最後まで、死が2人を分かつまで、唯一無二の大地君の味方でパートナーでいる決意を今ここでしなさい。
そして最後の約束。
大地君がどんな間違いを冒してもそれを許す勇気。何があっても笑って許す覚悟。一時の気の迷いで浮気をしても。
「これらを全部できないのなら、同棲は諦めなさい。大地君を信じられないのならどのみち長続きしません」
それが可能だということは愛莉が身をもって証明している。
「……ってなわけだ」
天音はそう言って笑った。
天音は覚悟を決めたのだろうか。
だから今まで僕を許して来たのだろうか?
「ありがとう、天音」
僕は天音を思わず抱き締める。
「心配するな。世界中が束になってかかってきても大地と2人なら武器なんていらない。お前が最強の武器だ」
「ああ……」
「じゃ、話すんだし寝ようぜ」
そう言って天音は寝室にいった。
そんな後姿をみて思う。
何て優しい彼女なのだろう。
天音はふらふらしているようで実は芯のある子だ。
既にさっきのことを全て決意しているのだろう。
だったら僕に何ができる。
僕もいい加減覚悟を決めなければならない時が来た。
そんな気持ちでいっぱいの夜だった。
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