桜の雨

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桜の雨

(1) 「それでは次の方どうぞ」 「失礼します」 僕は面接室に入ると父さん達と向かい合っていた。 今日は就職試験の日。 親子という関係は無い。 面接官と志望者という関係。 「それではまずお名前からお願いします」 そうして面接が始まる。 突拍子もない事は聞かれない。 ありきたりな質問内容に当り障りのない回答をしていく。 ちょっとだけ面接官が驚いていたのは。 「この歳でこれだけの資格を取られてるとは、余程勉強されたのですね」 学生のうちに関係ある資格は取っておこうと猛勉強した成果だ。 それまでじっと話を聞いていた父さん……社長が動いた。 「あなたが当社に採用されたら何をしたいですか?当社にどのようなメリットがありますか?」 父さんらしい意地の悪い質問だ。 僕は迷うことなく答えた。 「どんな零細企業の声にも耳を傾けて発展に協力していくように尽力します。もっと御社を発展させたいと思っています」 多分間違ってはいないはずだ。 その証拠に父さんはにこりと笑っている。 「今日はわざわざありがとうございました。結果は後日ご自宅に郵送します」 面接官の人がいうと「ありがとうございました」と礼をして退室した。 「次の方どうぞ」 僕の次の人が中に入る。 片桐税理士事務所は規模はまだ中堅企業だけど、その顧客は地元の中では飛びぬけている。 地元で税理士を目指す誰もが憧れる会社。 真っ直ぐ家に帰ると水奈が待っている。 「お疲れ様」 水奈は笑顔で迎えてくれた。 「面接どうだった?」 夕飯を食べながら水奈が聞いてきた。 「感触は悪くなかったと思う」 「じゃあ、どうしてそんなに浮かない顔してるんだ?」 「採用試験を受けに来た人の量に驚いてね」 父さんの会社だから採用は間違いないだろうとは思うけどやはり不安だった。 「空はやることやってきたんだから大丈夫だよ。親の会社だからって気を抜かずに資格まで取ったんだから」 過ぎた事を考えるより残る難関の卒論の事を考えた方が良いと水奈が励ましてくれる。 「ありがとう」 「それに大地が言ってた。もしダメなら大阪に来るといいってさ」 大阪に行けは公認会計士として雇ってもいいという。 そう言う話は美希や善明からも来ていた。 SHのメンバーである限り就職難という問題は避ける事が出来そうだ。 美希や善明だけじゃない。 僕達は色んな人に支えられている。 水奈も僕の試験対策に付き合ったり、景気づけにチキンカツを作ってくれたり、あらゆる面で支えてくれた。 「その代わり終わったら甘えてもいいか?」 水奈はそう言って笑っていた。 今日は水奈の相手をじっくりしてやろう。 (2) 今日は皆で海に来ていた。 結果からしてSHの4年生組は皆進路が決まった。 学と善明は会社を任される事になる。 僕には片桐税理士事務所から内々定の通知が届いていた。 水島君はプロバスケの世界に入るらしい。 医学部の2人はまだ2年間勉強しなければならない。 木元さんは大学を卒業したら中島君と結婚するんだそうだ。 学と善明は新卒で会社を経営出来るのかという事より、慣れない仕事をしながら子供を考えなければならない方が大変なんだそうだ。 今日はそのお祝いも兼ねてキャンプに来ていた。 海で遊んで、焼肉を食べて、酒で盛り上がって、遊と粋があいかわらず、なずなと花に頭が上がらなくて、酔って暴れる天音と紗理奈を落ち着かせる大地達。 いつもの光景、懐かしい騒ぎだった。 こんな事を続けていられるのはいつまで続くのだろう。 父さん達のグループ「渡辺班」も僕達が大きくなって集まることが少なくなった。 僕達も大学を卒業したら家庭を支えるものが大半だ。 学と善明は会社を支えなければならない。 皆離れ離れになってしまう。 だから学生時代はかけがえのない大切な物なんだ。 当たり前で退屈だった暮らしが懐かしく感じるようになる。 「まさか20代でそんな境地に入るとは思っても見なかったけどな」 そう言って学が笑っている。 「大丈夫!仕事をしながらでも皆で遊ぶことは出来る!」 光太はそう言う。 社会人という面では光太は2年先輩なんだから、きっと間違っては無いはず。 「SHは永遠に不滅だ!!」 光太はそう高らかに宣言する。 それに応じるみんな。 「パパたちは地元最恐って言われたんだから、私たちは最低日本最強までのしあがってやろうぜ!」 天音が言う。 それは無理だろう。 そうなる頃には渡辺班はきっと世界最強になるんだろうから。 すでにそうなってるのかもしれない。 渡辺班に所属する地元4大企業はすでに国内の殆どの産業を支配しているのだから。 「空は何か野望があるのか?」 水奈が聞いてきた。 「ないね」 「なんだよ!もう少し若者らしくなんか考えろ!」 天音が文句を言う。 「僕の理想は父さんだから」 「パパが理想?」 天音が聞き返すと僕はうなずいた。 「母さんに頭が上がらなくて、でも実は母さんを支えていて、子供の世話に振り回される父さんが理想」 それが細やかな僕の願い。 「それじゃまるで私が鬼嫁になるみたいじゃないか」 さっそく水奈の機嫌を損ねたみたいだ。 「子供ができると母は強くなるそうだよ」 自然界の理らしい。 自分の体を痛めて産んだ生命を守る本能は男には決して手に入れられないものらしい。 だから命がけで守るのは子供ではなく愛する妻だ。 そう、父さんから聞いた。 「……よかったな水奈。空が生涯を賭けて守るってよ」 天音が言うと水奈は俯いてしまった。 ちょっと困らせたかな? あまり遅くまで騒いでいると周りに迷惑をかけるので早めに切り上げた。 次の日の朝水奈が僕を起こす。 「ちょっと散歩しない?」 水奈は昨夜の興奮が冷めずにあまり眠れなかったらしい。 水奈と早朝の海岸を歩く。 「昨夜の事だけどさ、ちょっと気になって」 「どうしたの?」 「空は私の父さんじゃない。だから不安なんだ」 「どういう意味?」 「母さんは文字通り父さんを尻に敷いてた。私もああなるのかな?空を叱る自分がまだ想像できなくて」 「そんなの考えるだけ無駄だよ」 「そうだよな……」 「水奈だって水奈の母さんじゃないんだから」 「……そっか」 「それに水奈が僕を選んでくれるって決まったわけじゃないだろ?」 そういうと水奈はむくれた。 「お前最近意地悪だぞ!……絶対答え分かってて言ってるだろ!」 水奈がぼくの胸をポカポカと叩く。 そんな幸せな朝。 「ずっと待ってるんだからな。これ以上あまり待たせないでくれよ」 水奈は僕にしがみついて言う。 「わかってる」 テントに戻ると皆が朝食の準備をしていた。 朝食を食べてテントを片付けると帰りに銭湯とファミレスに寄って帰る。 帰って道具を片付けている間に水奈は寝ていた。 あまり寝ていなかったらしいし仕方ない。 水奈にタオルケットをかけて僕はその隣に座る。 水奈の優しい寝顔を見つめて思った。 父さんが言ってた幸せってこういうことなんだろうな。 (3) 「先輩卒業おめでとうございます!」 大地が挨拶すると宴の始まり。 卒業祝いに大地達が設けてくれた宴。 今後のSHのあり方。 僕達の後継者を誰にする? そんな話が出てきた。 だけど皆が口をそろえて言った。 「空は地元に残るんだから今のままでいい」 僕だって仕事が忙しい日があるんだけどな。 そんな事は関係ないらしい。 光太と克樹は夫の心構えとやらを学達に話をしている。 学は呆れていた。 善明はこれから起こる悲劇を予感していたようで頭を抱えていた。 光太達の背後には麗華たちがいた。 そして自分の妻に叱られる夫たち。 なぜかそんな光景が笑えていた。 「空!他人事だと思ってんじゃねーぞ!水奈だっていつかはこうなるかわからないんだからな!」 「水奈は大丈夫だよ」 僕は断言した。 それには水奈も驚いたらしい。 「何で言い切れるんだよ?」 「水奈はいつも僕の事を想ってくれてる。僕もいつも水奈の事を想ってる。だから大丈夫」 隣り合わせた者を思い遣る魂がある限り。 それは光太達だって一緒じゃないのか? 「うーん、翼の件がなかったらやっぱり力づくでも空を奪っておくべきだったかな」 美希がそう笑って言う。 最近は翼の名前が出ても何も思わなくなった。 それが少し寂しい気持ちにかわるけど。 翼も今頃どこかで幸せに暮らしているだろう。 父さん達から翼の近況を聞くようなことはしなかった。 知ったところでどうなる物でもないから。 ただ、頑張れと願っている。 幸せになれるように願っている。 僕はこんなに幸せだよって伝えている。 双子の力はまだ残っているのだから。 宴は3時頃まで続いてそして終る。 終ると僕達はそれぞれの家に帰る。 次に会える時はいつだろう? そんな事を考えながら。 それぞれの場所へ旅立ってもまだ友達だ。 窓に映る桜の雨。 窓越しに見える桜の虹。 喜怒哀楽を共にした仲間。 青く晴れ渡る空。 夢の一片が胸を震わせた。 いつかまた大きな花を咲かせて僕達は此処で会うだろう。
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