フクロウこそすべて

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 家に帰ってテレビを観ていると、近ごろ巷を賑わしている連続詐欺事件の犯人が逮捕されたというニュースが報じられていた。その犯人が語った犯罪の動機が、テロップで画面下に表示されている。 「遊ぶフクロウほしさに」  こうして、この世のすべての「動機」もフクロウになった。目の前にフクロウをぶら下げられなければ、もう誰も動かない。  街を歩けば、誰もがフクロウファッションに身を包んでいる。ファッションに疎い私は、今の今までそんなことにも気づいていなかったらしい。そのスタイルは「フクラー」と呼ばれているようだが、どこがどうフクロウなのかは私にはわからない。  友人の娘の話では、美容室へ行くと、若者はみんなこういって髪型を発注するという。 「フクロウみたくしてください」  どうりで街中に富士額があふれているわけだ。美容整形外科においても、同様の注文が跡を絶たないという。  こうして、この世のすべての「目標」までもがフクロウになった。 「フクロウとは何か?」あの日から私は、自身にそう問い続けている。  もしかすると、私の考えているフクロウと、万人がイメージするフクロウは、まったくの別物なのかもしれない。だが富士額であるというところは、どうやら合致しているようだ。「富士額の何か」今のところ私には、残念ながらそれ以上のことを断言することができない。  すべての「理由」が、フクロウになった。    すべての「動機」が、フクロウになった。  すべての「目標」が、フクロウになった。  つまりすべてがフクロウになった。   フクロウが絶滅してから、すでに百年が経過したというのに。
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