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桜狂いて、鬼惑う夜
紅月に浮かぶ狂い咲きの桜。風に吹かれて枝を揺らし、激しく花を散らすくせに燃えるように色を深める。血のように紅い月に染められて色味を増すそれが、蓮鬼のお気に入りだ。
鬼の里に春がきた。蓮鬼が住むのは里の外れの荒ら屋だが、気ままな一人暮らしは着の身着のままで気に入っている。時にふらりと旅に出て数ヶ月帰らない事もあるため、家は多少荒れてくる。
が、この季節は必ずここに帰って来る。この桜が相も変わらず短い命を燃やし尽くすように咲くからだ。
そして、それを知っている可愛い弟分がのこのこやってくるからだ。
「さて、酒はあいつが持参するとして、肴は俺が用意しようか」
重い腰を上げ、厨へと降りる。タケノコは土佐煮にでもしようか。タラの芽は味噌和えにでもしよう。ふきのとうは天麩羅に。
今日は魚がないのが残念だが、この季節は山菜が美味い。どうせならタケノコとワラビで飯を炊こうか。
振る舞おうと思って準備もしていたそれらを手際よく調理していく蓮鬼の目に、少量の行者ニンニクが目に入る。手に取って、彼はにやりと笑ってそれをお浸しにした。
これらの準備が整って囲炉裏端へと運ぶ頃、今日の客が酒を片手に勝手口を開けた。
「兄者、いるのかぁ?」
腰を上げて勝手口へと行けば、随分と不遜に育った弟分が、悪い目つきでこちらを見ていた。
羽鬼は小さな頃からの幼馴染みのような存在で、一つか二つ年上の蓮鬼の後を小さな頃から追いかけてきた。
小さな頃は可愛かった。白髪に小さな黒い角が二本あり、小柄で柔らかくて、何より素直で慕ってくれた。
小さな頃は守るべき幼子。ガキの頃は一緒に悪戯をして怒られる親友。年頃になって距離感が微妙になり、一足先に大人になった蓮鬼は可愛い幼馴染みを残して自由気ままを装って逃げを打った。
いつの頃だ、意地っ張りなこいつの言いようのない視線に気づいたのは。切なげな熱を孕む視線を感じ、受け入れる事に躊躇って笑って旅に出た。
置いて行かれた子犬みたいな顔をした羽鬼の、それでも泣くものかと歯を食いしばって睨み据える顔をずっと、忘れた事はない。
それから数年、毎年春のこの季節にこいつは旨い酒を持って訪ねてきて、旅の話や子供の頃の話をして酔い潰れる。本当はもっと、したい話があるだろうに言い出しやしない。
いい加減もどかしくてたまらない。逃げた蓮鬼がこれを言ってはいけないのだろうが、腹を括れ。
そんな想いを毎年感じ、蓮鬼のほうはとっくの昔に腹を括った。あいつ待ちなのだが、そろそろ我慢の限界かもしれない。
「いるよ。丁度肴も出来た、上がれ」
「おう」
酒の瓶をいくつも持って上がった羽鬼が、用意された料理にガキみたいに目を輝かせる。食い気が強いあたり、まだまだだ。
「まぁ、座れや」
雑多に席を勧めて、蓮鬼は勝手に座る。その隣にどっかりと座った羽鬼が、酒瓶をそのまま一本蓮鬼の前に置いた。
「人里の酒だぜ」
「また危ない事をして。悟られたら面倒だぞ」
「んなヘマしないっつの」
「どうだか。お前、抜けてるからね」
くくっと笑えば、羽鬼はふて腐れたガキのように口元を僅かに尖らせる。がたいだけは立派な鬼なのに、中身は昔からあまり変わっていない。
「兄者こそ、人里にも行くんだろ」
栓を抜いて蓮鬼の杯になみなみと酒を注ぐ。それをグイと一飲みにして、蓮鬼も羽鬼の杯に酒を注いだ。
「まぁ、あまり長くは居着かないようにしてるが」
「何をするんだよ」
「人のふりして用心棒したりもするな。食い物が旨い」
「兄者の料理も旨いだろ」
ふきのとうの天麩羅に手を伸ばす羽鬼が、おもわずといった様子で「うま」と呟く。蓮鬼はそれに吹き出した。
「お前、中身がガキのまんまだな」
「な! 俺は大人だ!」
「中身の問題だよ。まったく、そんな適当な料理で喜んでんじゃねぇよ」
「いいだろ、兄者の飯は旨いんだ」
不機嫌な声音で返すくせに、料理を食う手は止まらない。そんなこいつが、可愛くて仕方が無い。
こいつの気持ちを、視線から知った。
知った事で、己を知った。
蓮鬼が逃げたのは羽鬼の気持ちからではない。自覚を始めた己の感情の深さに驚いて、こんなものを可愛い弟分に向けていいのか迷って、結果離れる事で冷まそうとしたのだ。
まぁ、ざまぁない。結局毎年ここに戻って、羽鬼が言ってくるのを今か今かと待っているのだから。離れれば余計に、恋しさが募るだけだった。
「いい加減飯を作ってくれる嫁でももらえばいいだろ、色男」
推し量るように吐く言葉。押したり引いたりの駆け引きは得意ではないが、必要とあらばやってのける。
実際羽鬼は触発されてこちらを睨んだ。
「そんなのいらない」
「旨い飯が食いたいんだろ?」
「俺が食いたいのは兄者の料理で、他を考えたわけじゃ!」
「ほぉ?」
にやりと笑えば、羽鬼は途端に口をつぐむ。ここまで言ったなら腹を括って言えばいいのに、まだ誤魔化せると思っているのかそっぽを向いて知らぬ顔。酒気とは違う顔の赤みにも気づきはしない。
焦れったい。もどかしい。だが、この駆け引きも嫌いじゃない。
まぁ、酒もすすめば口も軽くなる。まだまだ宵の口、楽しもうではないか。
にやりと笑う蓮鬼など知らぬ様子で、羽鬼は自分の所にだけ出されているお浸しを口に運んでいた。
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