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俺は踏み出し、彼へと手を伸ばす。
「静……酔ってるよね? 君も」
免罪符のように言いながら――次の瞬間、俺が掴んだのは煙草ではなく、静の手首だった。
「……っ」
静が僅かに瞠目する。驚いたように見上げてくる眼差しを受け止め、俺はにこりと笑みを深める。それから視線を下方へとずらす。そこで薄く開かれたままの、彼の唇へと――。
「!」
その刹那、静ははっとしたように身を固くした。
(――――しまった)
静の顔から表情が消えた。その顕著な反応に、俺も一瞬我に返った。
俺は何をしているんだろう。
何で彼に触れているんだろう。
どんな眼差しで彼を見ているんだろう。
……あんなにも、しっかり蓋をすると誓ったのに。
だけどそれも、後の祭りだ。
酔っているせいだと笑っても、きっと全てを冗談にはできない。
今更この手を離しても、なかったことにはできないだろう。
静はもともと周囲の空気に敏感で、察しもいい。そんな彼を相手に、俺もよく今まで隠し通せていたものだと思う。
……だけどそれもこれまでだ。目の前で立ち尽くす彼の顔を見れば分かる。
少なくとも俺が彼に向けた劣情はもうばれている。
「……静――」
俺は掴んだ手をそのままに、彼の名を呼んだ。できるだけ優しく口にしたつもりだった。
けれども、彼がそれに絆されてくれるようなことはなく、それどころか、
「――離してくれませんか」
予想以上に冷たい声で返され、胸の奥が痛いくらいに締め付けられた。
「俺、こういう冗談は好きじゃないです」
静はまっすぐに俺を見据えて、牽制するように言葉を重ねた。
――冗談だなんて、思ってないくせに。
思えば、自嘲めいた笑みが滲む。と同時にやり場のない苛立ちのようなものを覚えて、知らず彼の手首を握る手に力が入った。
「……っ」
そこから走ったのだろう痛みに、静がぴくりと目を眇める。
その表情に、どこか既視感を覚えた俺は、
(そう、その顔がもっと見たい)
それが夢の中でのものだと気づかないまま、何よりその先が欲しくなる。
どうせ元に戻れないなら、ここでやめるも踏み出すも同じだ。
……耳元でそう囁いたのは、誰だったのか。
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