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大理石の浴槽は十分な広さがあり、小柄とは言えない男が二人で入っても特に狭いとは感じなかった。
先に浸かっていた静は外に面した縁に頬杖をつき、眼前に広がる夜景を穏やかな眼差しで眺めている。
俺はそんな彼へと手を伸ばし、そっとその身を引き寄せた。
「……夜景、見るんじゃなかったのかよ」
「見るよ。君越しに」
「なんだよ、それ」
言いながらも、静はされるまま――俺のすぐ前に背を向ける形で座らせられても、ただ仕方ないように息を吐いただけだった。
適度に空調の効いた浴室に、灯っているのはオレンジがかった仄かな間接照明だけ。肌あたりの柔らかなお湯はどちらかと言えば熱めだったけれど、もともと寒がりな静にはそれがかえって心地良いみたいだった。
俺は間近となった彼の首筋――濡れた髪が張り付いて色っぽい――を視界に入れたまま、自分で言った言葉通りに、一旦外の景色へと視軸を合わせた。
(……なんだか、夢みたいだなぁ)
夜景を瞳に映したまま、ゆるりと後ろから腕を回し、静の上体を背後へと傾けさせる。
その瞬間、僅かに身体を強ばらせた静だったけれど、結果的には諦めたみたいに身を委ねてくれた。俺の肩へと頭をもたれさせるようにしてみても、嫌がるような素振りは見せない。
(意外と、長いんだよね)
さりげなく視線を動かして、ガラス越しの夜空を見つめる静の横顔を垣間見る。水気を帯びた髪の毛が、軽く掻き上げられており、いつもよりその相貌が、特に目元があらわになっていた。
ゆっくりと瞬くのに合わせて上下する睫毛。身体が温まったからか、そのまなじりも耳元もうっすらと色づいていた。
(キス……したら怒るかな)
見ていると、自然と引き寄せられそうになる。
それを堪えようと思うのに、結局堪えきれずに顔を寄せてしまう。
そのまま、目元――でも、耳でも頬でもなく、濡れて少しだけ色味を濃くしたマットブラウンの髪に口付けた俺は、思わずこみ上げた笑いに微かに呼気を揺らしてしまった。
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