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(――まさか)
俺は弾かれたように顔を上げ、思わず息を呑んだ。
視線が通り過ぎる中、奥から出てきた店員がいた。その光景が、遅れて鮮明になる。その姿に目が釘付けになった。
手にはカップ&ソーサーの載った円形のトレイ。どちらかと言えば細めの体躯に、目元は俯きがちでよく見えないが、その眼差しが涼しげに細められる様が容易に想像できる。スタイルはいいのに、姿勢が少々悪いのも変わっていない。
そして相変わらず襟足長めの、マットブラウンの髪――。
「静……」
声にならない声で呟くと、火の点いていなかった煙草がぽろりと落ちて、テーブルの上へと転がった。
俺は急激に高鳴る胸を押さえ、とっさに立ち上がりそうになったのを何とか堪えた。
動かせない視線の先で、彼はゆっくりと歩き出す。
あろうことか、こちらへと向かっているようにも見える。
いや、見えるだけじゃない。きっとあのオーダーの行き先はこのテーブルだ。
(……静だ。間違いない)
まだここにいたんだ。
ここで働いていたんだ。
でもそれって、就職先がここだっていうこと……?
(いや、今はそんなことよりも――)
俺は無理矢理視線を引き剥がし、努めて深呼吸をした。
視界に入った煙草を拾い上げ、箱の横に置くと、俯きがちに目を伏せる。
(……大丈夫)
心臓の音はいまだうるさくあったけれど、頭の中は思ったよりも冴えていた。
(でもまさか……君にまた会えるなんて)
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