199人が本棚に入れています
本棚に追加
/234ページ
「見城くん?」
聞き覚えのある、澄んだ声。
目を向けると、半年ほど前だったか「思い出にキスだけでも」と俺に告白してきた子が立っていた。
俺は僅かに目を瞠り、思わずその名を口にした。
「莉那」
末摘莉那――きっと疎遠になるのだろうと思っていた彼女との関係は、意外にも変わっていなかった。
変によそよそしくなることもなく、まるで何事もなかったかのように接してくれる彼女は、今でもそこそこ親しい友人の一人だ。
最初から断ると決めていたくせに「どちらかと言えば好きかな」なんて答えてしまった俺にも、懲りることなく親切にしてくれている。
「莉那も、今帰り?」
そんなふうに、俺が簡単に下の名前で呼んでしまうのが余計な期待と誤解を……なんて指摘されたこともあるけれど、だからと言ってこれはもう習慣のようなものだから、今更それを変えるのも難しい。
「うん。カフェで課題やってたらこんな時間で」
「ああ、カフェで」
構内にある、静がよく行く店だ。去年、俺が莉那に告白された時にも利用していた――。
なるほど、と頷くと、傍まで来ていた彼女の傘を改めて見遣った。
小柄な身体に、確実に自分の物ではないだろう、大きめの傘。女性らしく華やかでもない、ただ真っ黒に塗りつぶされたようなシンプルなデザインのそれを、彼女は時折持て余すように小さく揺らしていた。
「ねぇ」
彼女は束の間沈黙し、それから再び口を開いた。
「見城くん、傘ないのよね?」
「あぁ……うん」
この期に及んで嘘をつくこともできず、苦笑混じりに認めると、ややして彼女が後ろを振り返った。
最初のコメントを投稿しよう!