*6.深い意味はないはずで

8/16

199人が本棚に入れています
本棚に追加
/234ページ
「好きな人……か」  例えばそれが〝彼〟だったなら……。 「いや、例えばって何……」  確かに、莉那に「好きな人いないの?」と聞かれて、真っ先に思い浮かんだのは彼だった。  すぐに頭では否定したけれど、「気になる人」と言い換えられてもまた同じ顔が浮かんだ。  彼のことはもちろん好きだし気に入っている。だけどそれはあくまでも友人としてであって、そういう対象ではない。  ……なんて自分に言い聞かせてみるけれど、何となくそれも腑に落ちない。  だから彼だったなら、なんて考えてしまうだろうか。  俺は無意識に揺らし続けていたグラスを止めて、その中に目を落とした。  俺の気持ちを表すかのように波打っていた液体が、次第に落ち着きを取り戻していく。  それを一口、口に含み、ややしてこくりと嚥下する。芳醇な香りが鼻に抜け、心地よい酸味が喉奥へと滑り落ちていく。――けれども、いまいちそれを味わうには至れない。 (仮に……)  グラスを再び揺らしながら、俺は淡々と考えていた。  仮に俺が、そういう意味で彼を好きだとして……それで何かが変わるのだろうか。  そもそも俺は、どうやっても彼の性愛の(そういう)対象にはなれないわけで。……そうなると、結局何も変わらないのではないだろうか。  ストレートの(相手)と俺が結べる関係なんて、友人以外にはありえないんだから。  本気で恋愛するつもりなら、なりふり構わず口説くのもありかもしれない。そうしてノンケの相手を落とした知人もいないとは言わない。  でも、それは俺の本意じゃない。  そんなことでこちらに引き摺り込むようなことをしてはだめだ。 「――あ」  その瞬間、ぱしゃり、とワインが小さな音を立てた。跳ねた雫が、白いシャツに紅い染みを作る。  気づかないうちに、グラスを扱う手付きが雑になっていたらしい。  ……ああ、やっぱりこういう不毛なことを考えるのはやめよう。  莉那の言葉にいくらか揺さぶられたことは確かだけれど、どのみち俺の気持ちは変わらないんだから。  じわりと縁を滲ませる染みを眺めながら、俺はため息をつく。  静のことは……もしかしたら好きなのかもしれない、とは思い始めてはいる。友人としてではなく、恋愛対象として(そういう意味で)。  だけど、俺がそう認めたからって結果は同じだ。認めても、認めなくても、変わるものなんて何もない。  ……ただ、思い知らされるだけだ。  俺と静に、甘い未来はないって現実(こと)を。
/234ページ

最初のコメントを投稿しよう!

199人が本棚に入れています
本棚に追加