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(――…)
静はしばらくその場に立ち尽くしていた。少なくとも俺にはそう見えた。
俺は思わず声をかけたい衝動に駆られ、持っていたカップを口元から下ろした。
「あ……」
そんな静に、別のスタッフが声をかける。
我に返ったように応対した静は、次にはいつもどおりの彼に戻っていた。
(何だったんだろ……)
視線を戻し、知らず浮きかけていた腰を座面に戻す。無意識に詰めていた息を吐き出した。
指をかけたままだった書類を天板におくと、触れていた場所に握ったような痕ができていた。そこまで力が入っていたんだろうか。
そんな自分に苦笑しながら、再度カップに口を付ける。書類の皺を押さえながら紙面を眺め、すっかり温くなっていたコーヒーを数口嚥下した。
……とは言え、今更仕事の内容なんて頭に入ってこない。俺は諦めたようにカップの中に視線を落とすと、残り僅かな液体をゆっくり飲み干した。
「――お代わりはいかがですか」
カシャン! とソーサーに戻したカップが音を立てる。
不意に降ってきたようなその声に、俺は振り仰ぐようにして顔を上げた。
「静」
聞き間違うはずがない。なのにまさかと疑った。
だけどやっぱり静だった。
「いつまでいるんですか」
気付いていたんだ。
気付いていて知らないふりをしていたのか。
ガラスの水差しを手に立っていた彼は、「要りますか?」とそれを僅かに掲げ、淡い笑みを浮かべて見せた。
さっきの客のせいか、あるいは単に疲れているのか――どこか気怠そうにも見える表情に、そこはかとない色気を感じる。
それを意識しないよう努めながら、俺は誤魔化すように口を開いた。
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