8.刻む距離

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「さっきの、知り合い?」  言ってから気付く。  誤魔化そうとしていたのに、墓穴を掘ってしまった気がする。  だけどそれも後の祭だ。  その言葉に、静の視線が一瞬揺らいだようにも見えたけれど、次には何でもないみたいに答えてくれた。 「常連さんですよ」  誰のことだとか、何のことだとか、そんなふうにはぐらかすつもりはないらしい。  そのくせ、まだ「要る」と言っていないのに、俺のグラスに水を注ぐ様はどこか不自然にも映った。 (単なる常連には見えなかったけど……)  彼らの会話を聞く限りでは、むしろそれなりの知り合いというか――。  思ったものの、何となくそれ以上は聞けない。  遮るように、俺から外された目線。  グラスを持つ手元にとどめられ、伏し目がちになった目許がいっそう艶めいて見えた。 「……ねぇ、静」 「何ですか」  俺は意図的に話題を変えた。 「初詣……一緒に行かない?」 「……え?」  些か入れすぎではないかと思えるほど、水の注がれたグラスが天板に戻される。  静が俺を見て、小さく瞬いた。 「あっ。あ――ごめん。帰省するよね」  俺はその意味を察して、苦笑した。  考えが足りない上、さすがに唐突すぎたらしい。  俺は一応、4月からも院に進学するため、同じ大学に籍を置く予定になっている。そうなった場合の猶予は二年。だけどそれはまだ確定(100%)とは言えず、結局春にはアメリカ(向こう)に呼び戻されないとも限らない。  そう考えた末――もしかしたら、最初で最後のイベントらしいイベントかな、なんて――の言葉(お誘い)ではあったんだけど……やっぱりこんな一方的なの、ただ君を困らせるだけだよね。  俺は思わず「ごめん」と重ねる。  けれども、そこに降ってきたのは――。 「いいですよ」 「……え?」  今度は俺の方が瞬く番だった。 「今年は帰省しないので」  親が記念日だとかで、旅行行くらしくて。年末年始。いい年して……。  と、揶揄めかして続けた静は、再び視線を外していたけれど、そのはにかむような表情はどこか嬉しそうにも見えた。  ……その表情(かお)はどっちに向けて? 「そっか……」  誘ってみたはいいけれど、そんな静の反応はちょっと想定外で、殊のほか動揺してしまった俺は、 「ご両親、仲いいんだね」  それでも余裕ぶって笑みを貼り付けながら、目の前のグラスを手に取った。その瞬間、なみなみと(たた)えられていた水がぱしゃりと跳ねた。
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