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数時間後、高級住宅街にある邸宅の客間に僕は座っていた。対面では菅井一恵さんがお茶を淹れてくれている。この家では二週間前に彼女の夫が殺されている。
「それで」
彼女はゆっくりと話し始める。
「絵の話でここにいらしたのですか?」
「そんなところです」
「それならあなたの絵を売っていただけるのでしょうか?」
「いいえ。もしあなたが僕の絵に価値を見出だしてお金を払って下さるのでしたら喜んで売っていました。
でも貴女は他の理由であの絵に値をつけた。だから僕はそのお金を受け取るわけにはいかないんです」
「では、他の理由でなら受け取っていただけるんですか?」
「いえ、趣味でお金を貰おうとは思いません」
「そうですか……では、やはり……」
彼女は緊張した様子で、意を決したように口を開く。
「あなたが、夫を殺したんですね」
僕は何も言わない。それを肯定と取ったのか、彼女は続きを話す。
「あの画廊に初めて入ったのは本当に気紛れでした。街中を歩いていて偶然目に入ったんです。
ですが中であなたの絵に描かれた模様を見たとき、これが偶然だとしたらとてつもなく恐ろしい偶然だと思いました。その模様は私の夫の死体の側にあったコップからこぼれた水とまったく同じ形をしていましたから。
その時、私はこの絵を描いた人こそが夫を殺したのだと思いました。人に言っても信じて貰えないでしょうが、あの模様は私にとっては確信に足る証拠だったのです。
そして、報いなければと考えました」
「それで、自分を押さえつけていた夫を消してくれた報酬を払おうとしたと」
「夫のことをご存知だったのですか?」
「誤解の無いように言っておくと、僕もあなたを尾けていた方から聞いて今日初めて知ったんです。殺した時は全く知りませんでした」
「やはりそういう方がいたんですね。
私も一度疑われていてあなたに報酬を渡すことは危険なことだと思っていました。ですが、どうしてもお礼がしたくてあの様な形を取ったのです」
そこまで話すと、彼女は膝の上に合わせた自分の手に目を落としじっと見つめた。少しして目線を上げ、続ける。
「なぜ夫を殺したのですか?」
全部を話すつもりもないが、嘘は言わないことにした。
「最初に言っておきますが、僕も自分のことを正常だとは思っていません。
僕は人を殺すことが好きなのです。老いも若いも、金持ちも貧乏も関係無く他人の命が自分の手に握られていることに安らぎを覚えます。貴女の夫は自分が死ぬなんて微塵も考えていなかったらしくてとても良い反応をしてくれました。
あのときは空き巣の仕業に見せかけて殺すために、調べておいた誰もいない時間帯に忍び込みあらかじめ部屋を荒らしておいて標的が帰宅するのを待ち不意をついて殺しました。奪う金目の物もわざと足のつきやすい物を盗み、金に替えずに処分して手がかりを追えなくしています」
人殺しが悪いことだなんて子どもでも知っているし僕だって知っている。最初に殺人をやったとき、犯人が僕だと知られないように頑張って隠蔽した。でも素人の証拠隠滅なんてたかが知れているから、すぐにばれて捕まってしまうのだと怯えていた。
だけど、何日たっても何も起こらず、夏休みが開けて学校に行って先生に呼び出された用事が、算数の宿題をやってこなかったことだったとき、僕は何に恐怖すれば良いのかわからなかった。
それから期間を空けて何度も同じことをやったが、適当な後始末だけで何事もなく日常を過ごせてしまった。まるで罰を与える神様が僕だけを無視しているかのようだった。
だけど、僕にはその理由は分からないのでこれはそういうものだと受け入れている。
今回、少し予想外だったのは思わぬ反撃を喰らいそうになってしまって肝を冷やしたことだ。そのときに食卓のコップを倒してしまい、その水の模様が印象に残ったから絵に描いた。
僕は彼女に伝えるべきことを伝える。
「改めて言わせてもらいますが、貴女は僕に何も払う必要なんてありません。そのことを伝えに、ここに来たんです」
僕のやったことは単なる快楽殺人だ。彼女のためにやったことではない。僕はそのことに報酬を求めない。
「すみません。独りよがりなことをしてしまいました」
彼女はしおらしく俯いた。
「いいんです。
でも、もし良かったらもう一度画廊に来て貴女が思った値をあの絵につけてください。それが、僕にとって一番大きな報酬です」
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