一話 水の中から夢語り

2/9
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/238ページ
 館外へはき出て行ったケンジントンハイム高校の生徒たちは、石段の下で一息ついた。 「ちょっと触っただけなのに、あんなに怒らなくたって----」 「あれ位の年の人は、頭が固いから、規則に忠実なんだよ」  ピート・デュエルは、乱れた髪を手でなでながら、したり顔で答えた。 「さあ、アヤノ。これで一応は市内観光地は制覇したことになるわね」 「ええ、付き合ってくれてありがとう」  言葉には心がこもっていたが、目はプリルを見ていなかった。  指に視線を落したまま、小首をかしげている。 「何しているのよ。二人で変な顔して----」  プリルに指摘された綾乃は、とっさにマリアンの顔を覗いた。 「やっぱり同じ事を考えてた?」 「ええ‥‥なんだか手に水がついたまま、取れないような気がするの」 「うん、そんな感じよね」  二人はしげしげと左右の手を見比べた。  不思議なこともあるものだ。  拭っても、指に水が絡みつく。決して気のせいではないと思う。 「手に付いた水はだな--ハンカチで拭けば取れるって。もう行こうぜ。きっと、オデオン座の前に、人が大勢並んでるぜ」   デズリー・ハルフォードは他の五人を急き立てた。  立ち上がった女子たちは、駈け出した男子二人を追い掛けた。  オデオン座の周辺は、若者たちの熱気に溢れていた。  革ジャンやジーンズ、紫やピンクに染めたロングヘアーの男女が、開演を今か今かと待って、奇声を上げている。  吸い込まれるようにその雑踏へ身を置いた六人は、違和感なくまぎれて見えなくなっていった。  不可解な顔をしていたマリアンと綾乃も、結局のところ、ライヴに夢中になって、そんな些細なことは忘れ去ったのだった。  今は初夏である。  地上は真っ暗闇と化していた。  真夜中のトラファルガー広場には、誰もいない。  いや、六人の男女を除いては、人っ子ひとりいない。  静まり返っているこの広場で、雲ひとつない夜空に向かい、彼らは遠吠えを繰り返しては、広場いっぱいに反響させていた。  まるで、ライオンの像が、吠えたてているように聞こえたことだろう。 「カッコ良かったよなぁ」  池の縁に飛び乗り、長身をいっぱいに伸ばして、デズリーは呟いた。  今、イギリスで一番の人気バンド、ダークマルス。 「ものすごい金髪だったね」  森村綾乃は背中まで伸ばした黒髪を、肩から払いのけながら言った。 「あなたったら、どこに注目してたのよ。もっと他に感動することなかったの?」  同じプロンドの持ち主のプリルが口を尖らせた。  ぴったりとした赤いミニスカートをはいて、形の良い足を覗かせている。 「だって、ステージに立ってる人って、豆粒ぐらいにしか見えなかったんだもの。小さ過ぎて、金髪しか印象に残らなかったのよ」 「このチケットを手に入れるのに、どれだけ苦労したと思ってるの。お目にかかれただけでもありがたいと思ってよ」  一番苦労してチケットを手配したジュディスが怒り出した。 「行方不明だったミショーがやっと戻ってきて、久し振りのライヴだったのよ」 「そんな事どうだっていいじゃないか」  ピートが頭を振って前髪を振上げながら三人を制した。  彼は神経質そうに、いつもヘアスタイルを気にしている。  関心事といえば、流行のファッションだけみたいだ。  マリアンはいつの間にかデズリーといっしょに池の縁に乗っていた。  六人六様、まだライヴの余韻に浸っているところだ。  興奮が収まらない。
/238ページ

最初のコメントを投稿しよう!