一話 水の中から夢語り

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 何度も瞬いて、覗き込む大ガラスを見つめ返した。  大きくて、背が高くて、長い翼を広げて威圧する。  怯えたように少女は両手で顔をおおった。  真っ黒に見えたのは、黒いマントが翼のように広がったせいだと思う。  でも、本当にマントの中から黒い翼が広がったみたいだった。  たぶん、目の錯覚だったに違いない。  髪の毛は銀色に光って見えた。  木漏れ日に反射して、水銀が揺れているような色彩を放っている。  少女は顔から手を放し、再び瞳を開いた。  その男は、目が合った少女から視線を一瞬そらした。  まるで、その視線によって目が潰れてしまいそうになるのを、避けるかのような仕草だった。  緑色の大ガラスは、瞳をキラキラさせている。  そうだよ、緑色なんだ。  彼の瞳は緑色なんだ。  なにかこの世の人間ではないように見える。  手を伸ばして触れようとすると、泡沫夢幻のように消えてなくなる。  その髪と瞳に反比例して、彼の姿は立体的に大きくて、赤銅色に日焼けして現実味があった。  少女は、じっと見つめられる自分の姿をかえり見た。  所々汚れて、何か尖ったものに引っかけた無数の細かい跡が残っている。  なぜ、彼はそんなに穴があくほど凝視しているんだろう。  たった今気がついたように起き上った彼女は、濡れた髪をかき上げながら周囲を180度見回す。  うっそうと生い茂った蔓や草、樹木によって囲まれた空間がここにある。  息詰まる静寂とこの状況にハッと息を呑んだ。  池には誰の姿も見えないし、誰の話し声も聞こえない。 「わたしの仲間を知らない? 男子が二人と女子が三人なんだけど、いっしょにいたはずなの」  彼はゆっくりと首を左右に振る。  銀色の髪が揺れた。  闇の中、月明かりに波立つ海のように揺れた。 「ここはロンドンよね」  彼の両目が不思議そうに光って見えた。  ここはあまりにも密林過ぎる気がする。  こんな草や樹木は、トラファルガー広場、いやロンドン市内にこんなジャングルみたいな場所があるはずはないんだ。  だが、なおも少女は強情に尋ねた。  たぶん、そう思いたかったのかもしれない。 「‥‥トラファルガースクエアの近くかしら」  彼は本当に奇妙な表情で見つめ返す。  言葉が通じないのだろうか。 「トラファルガースクエア? 聞いたことがないな」  彼の声は、その体躯に似合ったテノールだった。 「ここはどこ?」  少女の視線が絶え間なく宙をさまよう。 「アモウの泉だ」  すぐ側に大きな池があった。  なみなみとたたえる豊富な水。  こんなそばで寝ていたから、体中がぐしょ濡れになってしまったんだ。  いまだに、なぜここで寝てしまったのか思い出せない。  泉を覗きこんだ彼女は、ハッ!としたようにのけ反った。
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