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1DK
「進路希望調査、ねぇ…」
まさか高校2年生になってすぐの春に、こんな紙を渡されることになるとは思っていなかった。…もう決めんの?マジでぇー?アタシ専門行きたいんだぁー
始業式の学校は、いつもより空気の透明度が高いのか、クラスの騒めきがエコーがかかって聞こえる。気が重い、というか面倒臭い。担任が何か口を動かしているので、帰りのHRはまだ終わっていない。外を見て時間を潰す。新学期はいつも窓際の席に座れることが多いのは、渡辺という名字が得る出席番号のおかげなので、そこだけは感謝している。
「コウセイどうすんの?進路」
「決めてねえ。お前は?」
「どうすっかな。」
「姉ちゃんみたいに大学行きゃいいじゃん」
「うちが破産するわ」
「なんか安い大学あるって言ってたじゃん」
「あー、2部な。姉貴も通ってるやつ」
「姉ちゃん、自分のバイトで学費出してるって言ってたし」
「公立で2部なら1年で30万くらいだって」
「ギリいけんじゃね?」
「でもさ、姉貴はそこまでしてやりたい事があったわけで。俺はそういうのないしな」
「あー、じゃあなんか勿体ないな」「な」
「でも就職もなんか」
「「勿体ないな」」
最後がハモったのは仕方がない。俺たちは幼馴染で、アパートの部屋が隣で、母子家庭という似た家庭環境、そして小中高と同じ学校で、高校2年生になったばかりの同い年。思考回路も似てこない方がおかしい。
「じゃあ俺、バイトあるから」
「おぅ、気つけろよ」
別れの挨拶をして駅前の交差点で別々の道を行く。思考回路は確かに似ているだろう。でも何を選んで行動するかは、そんな2人でも違うのだ。カイトは多分このまま帰るか、何処かに寄って勉強している。彼の成績は良い方だ。似た思考回路の2人だが、1人は労働に勤しみ、1人は勉学に勤しむ。別に正解なんてないだろうが、少し羨ましい気がした。
新しい年度が始まって誰も皆浮かれているのだろうか。バイト先のモールのフードコートで俺は忙殺されていた。次から次と注文が入ってくる。お前らそんなにラーメンが好きなら、鍋にでも浸かってろ。心中で悪態をつきながら、丸1年働いた体は自動で動いて仕事をこなす。
「今日は人多かったな」
「そうっすね」
「コウセイも板についてきたねぇ、先輩は楽できて嬉しいよ」
「あざーっす」
「つれない態度は相変わらずだな」
「お疲れっしたー」
「はいはい、お疲れさん」
せっかくバイトが終わったってのに、なんでみんな休憩室で無駄にくっちゃべったりしたがるのだろうか。タイムカードを切ったら1分以内の退勤を目指している俺は理解できない。別に人間関係がウザいとか思ってるわけじゃないけど、金になるわけでもないのにと思う。
「ただいまぁ」
「おかえりぃ」
そっか、今日は夜勤じゃないのか。看護師をしてる母に声で出迎えられて気がつく。
「今日、早かったんだな」
「うん。どーだった?学校」
「なんか進路希望聞かれた」
「あー、もうそんな時期か。三者面談とかあるよねぇ…わかったら早めに教えてね」
「んー」
晩ご飯を食べながらTVで歌番組を流している母と束の間の団欒。団欒と言えるか疑わしいが、これが我が家流のコミュニケーションだ。
「どーするの?進路」
「え?」
「え?じゃなくて。あんたのことでしょ」
「あー…いや、こんな早く決めるって知らなかったし、考えてねえ」
「ちょっとしっかりしてよー?卒業まで2年だよ?」
「2年もあるじゃん」
「2年しかないの!」
「まあ、価値観の違いってことで…」
「待ちなさーい」
「風呂入りてえの」
「じゃあ上がったらでいいや。風呂で進路決めておいで」
「俺の人生決める時間短くない?」
「16年もあったじゃない。ほら早く。90年代特集に入ったら真剣に観たいんだから。それまで出てきて、話済ませちゃうよ!」
「はいはい…」
TVでは1970年代のヒット曲が流れていた。
今や齢50は過ぎたであろう国民的アイドルのデビュー時の映像メドレーをBGMに、俺と母は向かい合っていた。
「で、決めた?」
「んー、進学はしないかな」
「じゃあ就職するの?」
「いや、それがカイトとも話したんだけど、それも勿体ないなって思ってる」
「はぁ?」
「いや、なんかさ。世の中には若者っていっぱいいるじゃん?高校生じゃできないこと、かと言って仕事してたらできないことを謳歌してるっつーか」
「ニートになりたいの?」
「いや、そういうんじゃなくて…」
「じゃあどういうのよ」
「大学生みたいな緩さ?みたいなのが欲しい。けど、カイトの姉ちゃんみたいに、大学でしたいことが特別あるわけでもない…そんな俺が進学するって変かな、とか…」
「したいことを探しに進学するってこと?」
「いや…うん。できるならそういうのもありだって思ってたけど。それは無責任だよなって」
「コウセイ。あんたお金のこと心配してる?」
「…」
「だったらお門違いだからね。あんた1人大学出してあげるくらいのお金はお母さん持ってるから。そりゃ、今まで他の家の子と比べたら裕福とは言えない暮らしだったとは思う。そう思わせて、結果、今何かを遠慮してるみたいなあんたを見て申し訳ないとも思う。だからはっきり言っておく。そんな気遣いは無用。それを理由に自分の未来の為の選択の幅を勝手に狭めたら、お母さん怒るからね」
「…」
「今すぐってことじゃないんでしょ?進路希望の提出日」
「…来週水曜まで」
「じゃあ土日もあるし、ちゃんと考えなさい。自分のことを考えるの。月曜は今日と同じシフトだから私もいるし、その時また話そう。じゃあ90年代特集にちょうど入ったから、今日の話は終わり」
そう言って母はTVの方を向き直ったので、それ以上何も言えなくなってしまったし、言える言葉もなかった。金がないから、母子家庭だから、仕方なく就職するんだろう。勝手にそう思っていたのを見透かされて、こんなことを言われると思ってもいなかった。俺が俺のことを決めなければいけないのに「家にきっと金がない」という尤もらしい理由を言い訳にして、逃げていることを叱られるなんて、思いつかなかった。そりゃそうか。自分でも自分の考えの底にあった存在に気付いてなかったのだから。
「母さん」
「今、歌聴いてる」
「昔の歌ってなんでこんな元気なんだろうね」
「…」
「今の歌がどうとか言うんじゃないけど。アホみたいに元気じゃん。観てる人たちまで、みんな本気で楽しそうだし、何十人も後ろで踊ってるバックダンサーまで。70年代とか80年代なんて特にそう見える。なんでだろう。その頃、高校生だった母さんはどんなこと考えてた?」
「私が高校生だったの70年代じゃないから」
「あっ、うん…」
「…明日が今日より良くなるって、思ってたんじゃないかな」
「えっ?」
「色々あったよ?景気だって悪かった頃はお祖母ちゃんも苦労してヤリクリしてたし、トイレットペーパー争奪の映像とか。住んでる場所もお祖父ちゃんの勤め先の社宅で団地みたいな場所で、そこに家族5人だったから、下手したらこの1DKに2人より無理がある間取りだったかも。だからしょっちゅう兄弟喧嘩よ。6畳を二段ベッドで分けて二部屋に無理やりしてたし。でも、数年経ったら、前より良くなって安心が帰って来た時代だったかもしれない。そんなこともあったなって、笑えるようになったことがたくさんあった気がする」
「…」
「たまにワイドショーとかでコメンテーターが言うじゃない?今時の若者はー、とか。でも私たちも若い時は言われてたし、そのコメンテーターもそうだった筈なのにね。でも空気の中に夢があった気がする。形が変わって叶う夢もあるけど、それで生き延びれた若者はたくさんいたのかもね。でも今は少ない牌を奪い合うみたいだなって、お母さん病院に勤めて長いけど、患者さんのご家族とか見てても、時々思うよ」
「…」
「だからって時代のせいにしても、あんたが幸せになるわけでも、問題が解決するわけでもないの。見なきゃいけないものは、見たくないものでも見据える覚悟さえ持っていれば、あとは何も言わない。とにかく今は、あんたがどうしたいか考えること。いいね?」
「おはよ」
「おはよ。お前何やってんの?」
「いや…ボロいアパートだなぁと思って…」
「10年以上住んで今更かよ」
「昭和の忘れ物みたいじゃね?」
「俺も一応住んでんだけど」
「カイトの家は角部屋だから2DKだろ」
「姉貴と母親と俺で1DKは無理があるからだろ」
「うちは母さんと2人で1DKで頑張って来たぞ」
「なんだよ急に。なんか見られたら困るもん見られたのか?」
「うるせえよ」
「痛ぇっ、スネ蹴んなバカっ!」
「…なあカイト」
「なんだよ、やんのかっ?」
「お前、金がないって、感じたことある?」
「はあ?」
「いや、だから金が無いって」
「感じたことあるも何も、今この瞬間も感じてるよ」
「やっぱそうか…」
「当たり前だろ。こんな狭いアパートで肩寄せ合ってガキの頃から暮らして。2DKって言っても6畳のLDに4畳半が2つだぞ?高校だって公立一択だったし、中学を私立受験するとか言ってた小学校の同級生には恐れ慄いたもんだよ」
「あー…いたな、そんな奴も」
「でも俺らは最初からそんな選択もない。というか、それが当たり前だって思ってた。ないものはないんだから。別にそれで母さん恨んだりとかは、今はない。中学で部活も出来なかったのは悔しかったけどな」
「金が余分にかかるもんな」
「その時ちょうど姉貴が大学入るっていうから、そのせいで俺が我慢しなきゃいけないんだと思って大喧嘩したよ」
「そんなことあったのか。壁一枚隣なのに知らなかった」
「知ってたら、ちょっと怖いなって思った」
「俺、お前のことは何でも知ってる気がしてた。勝手にだけど」
「俺も勝手にお前のこと知ってるつもりだった。兄弟みたいなもんだって。でも違った。お前はそれを行動で示したじゃねぇか」
「はっ?俺がいつ?」
「お前高校入るなりバイト始めたじゃん」
「それは…金がなかったから…」
「何で金がないってわかるんだよ。屋根あって、飯食えてて、高校も通えてるじゃん」
「それは…うちは母さん1人だし、そういうものだって」
「まあ理由は知らねえけどよ。でもお前は誰に言われるでもなく、週に5回もバイトを入れて1年過ごしたわけだ。それはお前が選んだことだろ。逆に俺は違うことを選んだ。小遣い程度にコンビニでバイトしてるけど、お前みたいに熱心なわけじゃない。お前バイト代何に使ってる?」
「自分のスマホ代と、コンビニで買い物する時とか…あと一応家に家賃ってことで入れてる」
「お前の母さんなんて言ってる?」
「あら助かるー、って…」
「お前が選んでんじゃん。自分の家を助けるって」
「…その発想はなかった」
「そんなこと考えるまでもなく、そういう行動を選んでたってことは、それがお前のやりたいことなんじゃねーの?」
「…」
「俺らはさ。確かに機会は平等じゃなかったこともあると思うよ。かと言って、外国の大変な所みたいに餓死するって程でもない。でも豊かでもないよな、ぶっちゃけ。その中で、お前が選んだのは金を稼ぐことだった。だからお前は金を稼ぎたいんだろ。って俺は思って見てた」
「なんかお前、頭いいっぽいな」
「成績は悪くないから。お前と違って」
「うるせえ」
「おら、そろそろ行かないと遅刻する」
「あー、はいはい」
1週間後の職員室で俺は担任に呼び出されていた。
「お前ふざけているのか」と。
進路希望調査の第一志望には、進学にも就職にも丸をつけずに、名称の部分に「金持ち」とだけ書いてみた。その結果がこれだ。
母さんには言わなかった。話をする機会が一度あったけど
「俺、何になりたいかはわかったから。とりあえずそれ書いて出すことにした。それになるために必要なこととか、ものとか、全然わかんねえから。進路担当の先生と話してみる」
と伝えたら
「そっか。じゃあ今はそれ聞かなくていいね。どうせ三者面談とかあるんでしょ?あんたが決めたなら、それでいいと思う」
と笑ってたけど、この結果を聞いたらどんな顔するだろうか。
「渡辺、ふざけていいものじゃないんだぞ。これは」
「ふざけて書いてなんかいません」
「じゃあ一体どういうつもりだ」
「小学校でも中学校でも、うちは他所の家よりちょっとばかり金が足りないので我慢しなきゃいけないことが沢山あったんです。ちょっと余裕がないだけなのに、我慢しなきゃいけないことは沢山あったんです。家だって昭和みたいなアパートで1DKに母さんと2人で住んでる。正直大変です。1DKですよ?母さんなんかリビングでダイニングでキッチンの筈の部屋にカーテン引いて寝てる。俺の部屋だってハシゴ登らなきゃいけないベッドの下に机とタンス詰めて、昔の漫画みたいな生活してるんです。でも別にそれで母さんに腹が立つとか全然なくって。けど、本当はそんな状況を変えたかったんだって、最近気づいたんです。だから誰かに言われたわけでもないけど、バイト始めたりして…俺が金持ちになれば、それを補えると思いました。だから今バイトもめっちゃ入れてます。でもいくら俺が全力でラーメン茹でたところで時給は変わらないし、金持ちにはなれません。だから先生に聞いてみたかったんです。どうしたら金持ちになれますか?進学して就職した方がいいですか?それとも高校出てすぐ就職した方がいいですか?俺はこの二つくらいしか選択肢がわからないんです。今まで勝手に自分で幾つも閉ざして来てしまったので。だから、わからないから教えてください」
自分でも驚くくらい大きな声で立て板に水の如く言葉が流れ出た。狭いアパートの部屋に不便は感じていても、不満はなかった筈なのに、ギュウギュウに詰め込まれていた何かが、ドアを雁字搦めにしていた鎖を吹っ飛ばしてしまったかのように。でも嘘が一つもない、純度100%の俺の気持ちだったからか、なんだか気分がいい。担任はドン引きしているのがわかった。風の音につられて窓を見ると、花びらのようなものが風に吹かれて飛んでいくのが見える。風に流されて何処に行くのかなんてあいつらも分かるまい。でも自分がどうありたいかくらいのことは、あいつらだって俺だって、決めることが出来るんじゃないかと思う。
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