附子

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 名は確か、マナカ。杏がこれまで出会った中でもとりわけ大きな男で、歳は四十くらいだろうか。落ち着いた物言いで杏に問いかけてきた。 「……ここ、ここは?」  見たこともない建物だった。木組みが独特で、それよりなにより三方は壁がなく御簾が下げられているだけで、風が絶えず流れ込んでくる。湿り気のある風は海の香りがした。四つ角には大きな松明が燃えており、風によって炎が弄ばれているように踊る。 「伊乃国だ。知っておるか?」  まず浮かんだのは林殿村、杏の部屋に飾ってあった陶器だった。その次に、香霧が話してくれた内容。星読みの塔で話を聞いたのはもうずいぶん昔のことのようだ。 「唐達帝國の南、島国……」  林殿村より遥か遠く、帝都を通り越して伊乃国に来てしまったということだろうか。 「でも、とても遠いはずなのに」  マナカは目尻にある年輪のような皺を更に深くして笑みを浮かべる。 「我らを何だと思っている。海の民だぞ? 海路を行くのはお手のもの。陸の民の数倍は早く移動する」  そこで杏はぼんやりとした頭でもしっかりと自分が船酔いをして気持ち悪いのだと気が付いた。だから悪夢を見て居たという事も。 「ずっと気を失っていたから、尚更早く感じるであろうよ」  そういうとマナカは豪快に笑う。口を大きく開けて笑う姿は、状況が違えば釣られて杏まで笑いだしてしまうところだっただろう。
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