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「そうか。傷ついたかい?」
蛍汰は柘植を見た。「どうしてですか?」
「君たち、付き合ってたんじゃないの? 周りはそう思っていた人もいたみたいだ」
「付き合ってません」
「でも感情はあった。だろ?」
「ライバルとしてなら。勝てたのは体力だけでしたから」
「はぁ、なるほどねぇ。もったいないなぁ、長谷川君、美人なのに。きっと君たちぐらいの年頃の女の子たちは、毎日きれいになっていくよ。きっと再会したらビックリだ。さすがの君も心を奪われるかもしれない」
さすがのって何だ。蛍汰は隣の上司の真意が汲めずに戸惑った。
「親の承諾なしに入隊希望したの、矢嶋君だけなんだよ、知ってた?」
「はい」
「一応保護者欄に名前はあったけど、明らかに子どもの字だったからすぐバレた」
「あ…そう、ですよね」蛍汰は苦笑いした。
「だから書類審査で落ちたんだって」
「え」蛍汰は目を丸くした。「しかし…」
自分は八年前に入隊許可されて、教育を受けて今もここにいる。
「こういうのを取らないでどうするんだって、本部長に怒られたんだってさ。今の本部長じゃなくて、前の本部長ね。それで慌てて面接日程を連絡したんだそうだよ。君の面接には本部長も立ち合って、面接官をした私も緊張しまくりだったよ」
「えっ…」
面接官だったのか。全然覚えていない。蛍汰はこれから何が暴露されていくのかと緊張した。自分が箸にも棒にもかからない使えないガキだった頃を知っている相手だ。怖い。
「面接のこと、覚えてる? 私の印象的に残っているのは、もう一人の面接官がわざと君を困らせる質問をしたときだ。十歳の子にアフリカの小さな独立国で行われた首長選挙のことを聞くという、かなり意地悪な質問だったよね。君はそのことはよく知りませんが、と前置きして、自分が知っている西アフリカ原産のカミキリムシについての知識を披露した。未だに彼らの求愛行動のパターンが解明されておらず、それについての自分の見解を語った。しかも、後から調べたら、君の話はほとんどがデタラメだった」
蛍汰は顔を赤くした。「申し訳ありません」
「あれ、アドリブ?」
「はい」
「すごいな。本部長も気に入ってたよ。あのホラ吹き小僧を入隊させろって」
「申し訳ありません」
もう謝罪するしかなくて蛍汰は俯いた。
「いや、話はここからでね。初等教育課程について後に問題になったのは、やっぱり判断力の弱い子どもに特定の思想を押し付けるのはどうかってことだった。面白いほど子どもたちは影響を受け、心酔し、そして憎しみも持った。面白いというと申し訳ないけどね、実際、一般の大学を出た子たちに教育を新しく入れるよりも、何十倍、何百倍も君たちは簡単に成果を見せた。見事に思い通りの兵士に育っていくのを見て、教官が怯えたぐらいだ。これは本当に正しいことなのかと教育側が悩んだ。それで君たちの後輩が入隊することがなかったんだよ。一度きりの実験ということになった」
柘植はハンドルに軽く腕を乗せ、前を見ながら気持ち良さそうに運転している。
「そうですね」
蛍汰は何度か当時の教官だった上官に謝罪されたことがある。それにどう言えばいいのかわからず、ただ「はい」と答えてきた。あるいは誇らしげに「自分が作った最高兵士だ」と自慢のネタに使われることもあった。それに対しても「はい」と答えた。違和感はあったが拒絶はしなかった。上官というものは、彼らの好きにさせておくのが一番だと蛍汰も知っている。
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