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目の前で濡れ衣を被った若者が殺されたにもかかわらず、横で見ていたおまえは対処の一つもせずに傍観していたのか、バカ野郎。
単純に言えば蛍汰の罪状はそんなところだ。そして答えはイエスだ。ですが、と状況説明をしようとしたら手で制される。状況報告は聞いているから不要だと。そうですかとこちらも引き下がるしかない。本当に聞いてるのかコラとかは言えない雰囲気だ。何しろ蛍汰が見たこともないお偉いさんがずらりと並んでいる。しかも三列だ。最後の一列はディスプレイになっていて、多忙すぎてここに出席できない偉いさんがゴルフコースやカジノの照明を背景にして難しい顔をしている。蛍汰はその芝居がかった表情を見て吹き出しそうになったが、一番前にいる上官の鬼の形相を見て顔を引き締めた。ここで笑ったら絶対にクビになる。それだけは避けたい。クビにならないために制服を着て、時間もキッチリ守ってここまで来た。謹慎中に酒に溺れることなく、ドラッグに逃げることもなく、ただただ二週間、大人しくじっと待っていた。連日のセラピーで気が狂いそうになったが、ようやく聴聞会に呼び出され、こうやって来ているのだ。ここまで我慢したんだから、あと少し我慢しようと思う。
「潜入任務は、そういった時のために一般人を守る切り札として与えられたものだという認識は?」と階級がずっと上のハゲが聞く。蛍汰程度の下の者には自己紹介さえ不要なので名前は知らされていない。聴聞会場で蛍汰が知っている顔はたった一つ。正面一段目にいる一尉だけだ。蛍汰がついていた任務の統括長で、部下の不始末を裁くためにそこにいる。聴聞会前にやってきて、励ましてくれるのかと思ったら、蛍汰の耳に「自分のケツは自分で拭け」と囁いた素敵な上司だ。蛍汰はできるだけ悪い結果を考えないでいようと努力していたが、その瞬間に全てを諦めた。せめてクビにだけはならないでいたいという、かすかな望みも霧散しそうな雲行きだった。
「そういった時とは、どういった時でしょうか」
蛍汰はバカなフリをしてみる。どうせバカ野郎と罵られているのだから、バカになってやろうじゃないか。ハゲの頭がカッと赤くなる。そして上官がさらに強く睨みつける。クビだな、これはと蛍汰は地雷を踏んだことを自覚しつつ、もうその足を上げられないことも理解していた。
「何の罪もない民間人が見せしめに殺されそうになった時だ!」
ハゲが語尾を荒げた。
「最優先任務は大規模テロの計画把握だという認識でした。そのために自身の立場を変えることは任務遂行に弊害が出る恐れがあり、救出は別のチームに任せることにしました」
何度も言っただろうが。蛍汰はそうは思ったが、地雷を踏んだことはわかっているので、できるだけじっとしておく。平らに平らに、心を落ち着かせる。
「救出チームは出ていなかった。出たという連絡を受けたのかね?」
「受けていませんが、」
「受けたか受けてないか、それだけを聞いている」
蛍汰は一つ深呼吸をした。上官の目がレーザー攻撃のように鋭くなっている。蛍汰は質問者を真っ直ぐに見た。
「受けておりません」
「では別のチームに任せるといった判断は誤りだったということになる。違うかね?」
「しかし」
「救出チームが出たという連絡がなかったのに、誰に任せようと思ったのだね?」
「四十八時間以上前に通報しました。通常であれば、」
「別件でチーム編成が組めなかった。通常の状態ではなかったのだ。そういった場合、現場で判断するべきだろう。連絡が来ないことに疑問を感じ、自律的に動くべきだ。違うか?」
蛍汰は乾いてきた唇を舐めた。クソ。足を離して上官もろとも自爆してやろうか。おまえらが救出チームを組めなかった尻拭いを俺にさせるんじゃねぇ。結局、落としどころはそうなんだろうと蛍汰もわかっていた。
「しかも君はテロ計画の詳細を把握することもできなかった」
蛍汰はどっと疲れを感じ、深く息を吐いた。「その通りです」
確かに詳細は手に入らなかった。何しろ、目の前で人質がナイフで首を切られたのだ。間に合わないとわかっていても救出行動に出てしまった。どうせ死んでると見捨てるべきだったと偉いさんたちは言っている。現場を見てから言え。その時点までに、十数カ所のテロ計画の時期と場所を把握して報告したことは全部ナシか。評価に値しないってか。暴れるぞ。
「一体、君は何のために潜入していたんだね?」
ハゲが聞くが、蛍汰はもう既に質問の意味がわからない。命令を聞いてんのか? それとももっと理念的なものを聞いてんのか? それともイザってときの備えについて聞いてんのか? 日々変わっていくそっちの要望に答え続けた、最後の命令を唱えろと言ってんのか? あるいは任官したときに誓ったアレを言えと言ってんのか?
「答えたまえ」
ハゲが急かす。蛍汰はゆっくり地雷を踏んだ足を外す。
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