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 意外と近い距離で車は別の敷地に入った。蛍汰は窓に張り付いていたが、そこがどこかわからなかった。刑務所でないことは雰囲気でわかる。それよりは明るい開放感のある景色だった。  永瀬に小突かれながら車から降り、エントランスに入って気づいた。ここも病院だ。  永瀬が後ろから常に小突くので、蛍汰は急ぎ足で廊下を歩いた。エレベータで六階に上がり、再び廊下を行く。その頃には少し息が乱れてきていた。永瀬にそれをからかわれ、蛍汰はムスッとしたまま重い体を引きずって歩いた。  ベージュの壁に、薄いピンク色のドアが並んでおり、消毒薬の香りの中に、どことなく甘い香りが漂っている気がする。エントランス脇の外来では、かすかにオルゴールの優しい音色が聞こえていた。通り過ぎる看護師の制服にも薄いピンクのラインが入っていて、患者はほとんど女性のようだった。永瀬が急かすので、さまざまな表示をじっくり見る時間がなかったが、どうやらここは総合病院ではなさそうだと蛍汰は思った。 「部外者との面会は許可されないが、部内者との面会なら許可される」  永瀬が言って、個室の前で止まった。蛍汰は病室入口脇の白いネームプレートを見て息を飲んだ。 「いいんですか」 「五分だけだ」永瀬は時計を見て、顎で蛍汰をうながした。蛍汰は閉じているドアを見上げ、それから息を整えてノックした。  答えはなかったが、しばらく待ってから蛍汰はドアを開いた。永瀬も入ってきたが、ドアのすぐ前で足を止めた。蛍汰は真っ直ぐベッドの方へ進んだ。  いくつもの管につながっている智実がそこにいた。腹部はふっくらとふくらんでいる。計器がしっかりと彼女と赤ん坊の心拍を取っていた。点滴が落ち、蛍汰は眠っているように見える彼女の顔を間近で見た。白い顔にほんのりと紅い頬。真っ黒な髪が流れている。酸素マスクがかかっていて、しっかり閉じた睫毛が長く見えた。  智実。  蛍汰は心の中で呼んだ。声には出せなかった。  じっと立ち尽くしていると、横に永瀬がやってきた。そして脇腹を突つく。 「何か喋ってやれよ。意識がなくても聞こえてるってよく言うだろ」  蛍汰は永瀬を見た。何を言えばいいんですかと目で尋ねる。  永瀬は蛍汰の目を見て眉を寄せた。それからため息をつく。 「名前を呼んでやれ」  永瀬に命じられて、ようやく蛍汰は智実の方に視線を戻した。かすれた声で「智実」と言うと、永瀬が横から頭を叩いた。 「そんなんで聞こえると思ってんのか。腹から声を出せ、バカ野郎」  蛍汰はその場に膝をついた。智実の顔の高さ、耳の高さで名前を呼ぶ。「智実」  まだ声はかすれていたが、永瀬は何も言わなかった。  蛍汰は彼女に届くよう、願いを込めて言葉を紡いだ。 「俺は大丈夫だから。おまえは自分のことだけ考えてろ。俺は今から聴聞なんだけど、うまくやれば隊に残れるらしい。俺はちゃんとやるから。もしおまえが困ったら、必ず助ける。赤ちゃんのことも守ってやる。俺は何でもやるから、だから…一緒に生きよう。そばにいる。諦めたりするな。絶対に二人とも助かろう。おまえも、赤ちゃんも。わかってるよな」  わかってるよと智実なら笑顔で言うと思った。蛍汰は彼女の髪にそっと指を触れた。静かな呼吸音と計器の音が静まった部屋に響く。
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