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 永瀬は蛍汰を見下ろし、それからベッドの智実の方へ視線を移動させた。毎日、午後遅くに彼女の母親が立ち寄り、声をかけていく。長谷川智実と母親とは、矢嶋蛍汰とその母のように断絶はしていない。だからこそ彼女の母親はSDAに不信感を抱いていた。娘をこんな風にしたのはSDAだと思っているフシがある。それはあながち間違いじゃないと永瀬も思う。しかしそれが全てではない。こうやって寝ている彼女に、熱心に声をかける奴がいると知ってもらえたら。それだけでもSDAへの不信感を払拭できそうな気がするのだが。  蛍汰は祈るように目を閉じてから立ち上がり、最初と同じように智実を見下ろした。彼女の頬には今回の傷なのか、以前の傷なのかわからないが、三日月みたいな傷がついている。それはほんのり赤いラインになっていて、痕にならないといいと蛍汰は思った。触れてみたかったが、怖くてできなかった。起きてほしいが、起こしてはいけない気がする。いつも怒っているように見える目は、閉じられていると優しく見えた。睫毛も意外と長いんだなと蛍汰は思った。こんなにじっくり彼女を見たことがなかった。唇の形も、眉の形も初めて気にした気がする。頬がほんのりと紅いのは、部屋の室温が高めだからだろうか。とにかくそれほど死が近い感じはしなかった。今にもぱちっと目を開いて笑いそうだ。  カラコロと笑う智実の声が好きだった。智実は蛍汰の前では大抵の場合、フッと静かに見下したように笑うのだが、星留と内緒話をしているときや、潜入で誰かと他愛のない話をしているとき、彼女は本当に楽しそうに笑うのだった。蛍汰は自分との会話で聞いたことがないために、最初は少し驚いて振り返ったのだが、そうすると彼女は何を見てるのよと怒ってしまった。蛍汰はだからいつも智実の笑い声が聞こえたら、振り返るのを我慢して背中で聞いたものだ。  そうだった。蛍汰は思い出した。こうやってじっと見ると智実は怒るのだった。指がきれいだと思って見ていたら怒られ、睫毛の動きに目を奪われると怒られた。メイクを習い始めた頃、毎日少しずつ違うメイクの様子に驚くと、それも怒られた。見るなと言われ続けたせいで、蛍汰は智実を直視することを避けるようになっていったのだった。だから気配を感じるのかもしれない。遠く離れているときや、騒がしい中でも智実の声は聞き取れた。人ごみの中でも背中を見つけることができ、距離が離れていても考えていることが想像できるようになっていった。  見るな、近づくなと嫌われていたせいで、最初の頃は智実の気に入ることを探しまくったこともある。何が好きで何が嫌いなのか知っておけば対処できると思ったからだ。せっかく同期で入ったのに敵視されたらやりづらいという蛍汰の政治的な読みもあったが、一緒にいる仲間として気持ちよく一緒にいたいと思うのは当然でもあった。そうやって智実への対処をしていくことが、潜入技術のスキルアップにもなっていった。今では、おそらく自分が一番彼女のことを知っているように思う。柘植が何度も聞くようにテレパシーは使えないが、智実が考えそうなことは手に取るようにわかった。だからこそ自分は今、とても胸が苦しいのだと思う。  オリエンテーションで会ったとき、アーモンドみたいな目だと思った。真っ直ぐな髪が信じられないぐらいきれいで、手に触れたいと思ったが近づけなかった。彼女にはオーラがあり、少し離れたところで見るのが精一杯だった。それさえも気づかれると怒られたのだが。
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