21

10/22
17人が本棚に入れています
本棚に追加
/405ページ
「もういいのか」  永瀬が言って、蛍汰は我に返った。初等教育課程の時のことを思い出していた。あの頃は毛嫌いされて困惑したが、一緒に仕事を進めるようになると、互いをよく知っている分、誰とやるよりもうまくいった。彼女は自分が優秀だから誰とやってもうまくやると言っていたし、彼女ならそうだろうと思えたが、蛍汰自身は他の誰かと組んだときに同じようにできるとは思えなかった。  蛍汰は永瀬を見た。 「声…聞こえてるんですよね」  永瀬は目を丸くして肩をすくめた。 「俗説だけどな。俺は医者じゃないからよく知らない。俺は聞こえてると思って、おまえのことも励ました。聞こえてたか?」  蛍汰は思わず苦笑いした。「覚えてません、申し訳ありません」 「別にいい。もういいのか? 切り上げるぞ」  永瀬が急かし、蛍汰はもう一度智実を見た。静かに眠る彼女の睫毛を見つめる。聴聞でミスをしたら二度と会えないかもしれない。そう思うと、胸の内にあるものは全て言っておかなければいけないと強く思った。これは最後のチャンスかもしれないのだ。 「俺、おまえのこと、好きなのかも知れない」  蛍汰が言って、永瀬は驚き、それから吹き出すのを懸命に堪えた。何だその唐突で不器用な告白は。しかし蛍汰はそんな永瀬に気づかず、至って真面目に語りかける。 「おまえが絶対に死なない気がしてて、遠くにいても全然大丈夫って思ってたけど…なんか、今は違う。おまえが死んじゃうかもしんないって聞かされると、心臓が震えてるんだよ。怖いみたいだ。笑われるかな。俺…聴聞、行くのやめようかな」 「何言ってんだ」永瀬は慌てて蛍汰の肩を掴んだ。蛍汰は強く振られて永瀬の方を向く。 「ここに居たいんです」 「バカ言うな。今日の聴聞はシナリオもできてる楽なやつだ。さっさとこなして、おまえは自分の道を切り開け。長谷川だってケツ蹴飛ばしてそうしろって言うぞ」 「智実が起きるまで呼びます」 「それは聴聞の後でもできるだろうが」 「ここに戻る許可が出ないかもしれないじゃないですか」 「バカか、おまえ。聴聞をうまくやりゃいいだろうが。戻るために励めよ。それが筋だろうが」  永瀬はガクガクと蛍汰の体をゆすった。突然の心変わりを何とかしたい。蛍汰は揺さぶられるままによろめいて、それからバランスを失って倒れそうになった。永瀬はそれも支える。 「長谷川! 何とかしろ。この情けない曹長をマジで蹴飛ばしてやれ。矢嶋がおまえを見ていたいから将来を棒に振ろうとしてんぞ」  永瀬は自棄になって智実に怒鳴った。蛍汰はベッド柵を掴んで何とか立っていたが、胸の奥が熱くなって息苦しく、どうしたらいいのかわからなくなってきていた。 「矢嶋、目を覚ませ。おまえが長谷川のことを超・特別に大事にしてんのは、警務特科の全員が知ってる。それが恋愛感情だろうってことはみんなわかってたよ。わかってて黙ってた。面白いからな。だけどな、だけど今じゃない。今は自分のことを考えろ。クソ、これなら会わせるんじゃなかったな。長谷川と会えばおまえがシャキッとすると思ったんだけどよ。やめるだと? 頭、おかしいのか。昇進の大チャンスだろうが。マジで目を覚ませ、クソガキ」  永瀬は蛍汰の胸ぐらを掴んだ。蛍汰は永瀬を見つめ、それから振り上げられた拳を見た。  殴られると思ったとき、ささやくような声がして、蛍汰は思わず力一杯永瀬の腕を振りほどいた。そのせいで制服が小さくどこか傷む音がした。 「長谷川」  永瀬はベッドを見て呆然とつぶやいた。  長谷川智実が薄く目を開き、蛍汰がその頭を抱え込むように抱きしめているのが見えた。酸素マスクが微妙にずれている。彼女に覆いかぶさったような蛍汰の制服の背中が小刻みに震え出す。それが笑いだと永瀬が気づくのに時間はかからなかった。  永瀬は脱力した。長谷川智実が全て見通した仏のような目で、蛍汰の肩越しに永瀬を見ている。その目が微笑んだ気がして、永瀬は蛍汰の制服の背中を掴んだ。蛍汰は笑いながら智実を解放する。 「少佐」蛍汰は嬉しそうに永瀬を振り返った。「智実が目を覚ましました」 「うん、そうだな」永瀬は呆れて答えた。見りゃわかる。「おまえが騒がすからだろ」  蛍汰は永瀬の言葉はもう聞いていなかった。すぐに智実の方に向き直ってベッドに手をついて彼女に語りかける。
/405ページ

最初のコメントを投稿しよう!