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 命令不服従というのは、結構な罪だ。蛍汰は懲罰房に入れられ、毎日『再教育』を受けた。懲罰の理由が命令不服従ということで、教育カリキュラムも命令に従うことに絞られていた。命令には全て従い、命令にないことは絶対に行ってはいけないという教育だ。まだ教育課程の頃にそういう教育は受けたことがあったが、ここにきて再びそれをやられると気持ちが萎えた。再教育期間中は、元の階級も功績も関係なかった。ただただ命令に完璧に従うことだけを求められ、蛍汰はため息をつく自由さえ奪われてしまった。  ただ命令に正確に従うだけならロボットを使えばいいじゃないかと蛍汰は思った。表面上は命令に従ってはいたが、頭で何を考えようと、それは教育監督官にもバレることはない。懲罰期間中は唯一残された思考の自由を蛍汰は目一杯使った。懲罰期間が告示されていなかったので、いつまで続くのかわからなかった。しかも質問することなど許されなかったから、この先ずっと改善が認められずに教育延長されたら気が狂うだろうなと憂鬱になった。最初は早く終えて、何とか仕事にも復帰できたらと思っていたが、十日目を過ぎた頃から再教育がどうでもよくなってきた。教育不能と烙印を押されて免職になることを祈るほどに嫌気がさしていた。  日数を数えるのも億劫になって、何日過ぎたかわからなくなった頃、蛍汰は全ての命令に従うのをやめた。殴られても諭されても無視した。食事と水が取り上げられたが、それもしょうがないと受け入れた。少なくとも死ぬ前には解放されるだろうと期待した。死ぬつもりはなかった。そんなことを願うには蛍汰は若過ぎた。  完全ボイコットの二日目には教育監督官が水をグラスに入れて持って懲罰房に入ってきた。蛍汰が奥の壁にもたれていたので、教育監督官はグラスを蛍汰の手がもう少しで届かないところに置いた。そして彼自身も床に胡座をかいて座り、自分用に持ってきたもう一つのグラスの水をゴクリと飲んだ。 「さすがに潜入に選ばれるだけあって、強情だな」教育監督官はそう言ってから小さく笑った。「強情ってのは言い方が悪いな。意志が固いと言い直そう」  何もおかしくねぇし。蛍汰は笑っている相手から目を反らした。 「さてと。矢嶋君」  教育監督官は懐から携帯端末を取り出して操作した。蛍汰はそれをチラリと見たが、そこに何が表示されているのかは全く見えなかった。 「あの悪名高い初等教育課程からってスゴイね。あれは失策だったと誰もが思ったんだけどね。若いのに八年目かぁ。大卒だったら三十歳か。そりゃ中堅曹長だよね」  どうやら教育監督官は蛍汰のプロフィールを検索したらしい。 「いやね、噂には聞いてたんだよ。十代の曹長って、どこの不安定な国の武装組織だって話でね。都市伝説みたいなもんかと思ってた。しかも潜入なんてしてたから、存在自体が機密でしょ。実物見られてラッキーだよ。顔も悪くない。髭は剃った方が良さそうだけど、伸ばしたら伸ばしたで似合いそうでもあるね。水は飲んだ方がいいよ、計算上、君の体は脱水状態になりかけてる。…とは言っても、聞いてくれないんだろうな」  教育監督官は自分の水をまたゴクリと飲んだ。 「初等教育課程以降は成績優秀だね。そんな人間をSDAが捨てると思う? 君が免職を拒んでるように、SDAも君を手放したくないわけ。両者の気持ちは一致してるのに、なぜか今はすれ違ってしまってる。私はそのねじれを解消しにきたというわけだ。水を飲んでくれる?」  教育監督官が蛍汰のグラスを持ち上げて掲げ、蛍汰はそのグラスを見た。  ねじれって、と聞こうとして、声が掠れて出ないことに気づいた。何度か咳払いをして、口の中を湿らせ、ようやく声を出す。 「ねじれ」 「そう」教育監督官は蛍汰が反応したことが嬉しかったようで笑顔を浮かべた。「両思いなのに、邪魔が入ってすれ違い。そういうことってあるだろう? こんなとこにいると出会いは少ないだろうけど、好きな子の一人や二人、いるだろ?」  意味がわからない。蛍汰はまた視線を反らした。まぶたが下がる。眠い。 「矢嶋君、ほら飲んで。意識が飛んじゃうよ」  強引に唇に水が注がれ、顎から水が滴った。半開きの口から入った水が無意識に飲み込まれる。ゴクリとのど仏が動いて、蛍汰は目を開いた。グラスを振り払おうとしたら、手を止められた。 「矢嶋君、君は自分に価値があるとわかってるだろう。ちゃんと飲んで手当を受けて、それから話をしよう」  教育監督官が言って、蛍汰は彼が立ち上がるのを見た。代わりに医療班が入ってくる。  担架で運ぼうとするから、自分で歩けると振り払ったら、両側からガタイのいいのに吊り上げられて運ばれた。教育監督官はそれをニコニコと笑いながら見ていた。  蛍汰は医務室で点滴を受けながら思い出した。聴聞会のとき、二段目から「とりあえず謝っておけ」と言ったあの顔だ。あのとき肩についてたラインは何本だったっけか。あの場にいるってことは、少なくとも尉官だ。ともすれば佐官。ということは教育監督官とかではなく、最低、教育科長ってことになる。もしくはもっと上。大丈夫か、俺。  蛍汰はそれでも懲罰房から出られたことは嬉しかった。あのダークグレーの壁を見ていると気持ちが滅入る。そのための部屋だとしてもだ。
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