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山吹色の少年
私は毎晩、不思議な夢を見る。
それは、幼なじみの男の子と再会する夢。
小学校に上がる前は、どこへ行くにもいつも一緒にいて、いつも二人で遊んでいた本当に仲の良かった男の子だ。
私がうれしい時はともに笑い、私が悲しい時は慰めてくれた大切な親友。
それは確かなのに、名前がどうしても思い出せない。名前だけではなく、どういった関係で知り合い、どこに住んでいたのかも全く思い出せない。
どうしたわけか、夢の中に出てくるその男の子の外見はかなり変わっている。
まず、首がにょきっと長い。ふつうの人の5倍くらい長い。
柔らかくて暖かそうな山吹色のシャツを着ている。
目は黒々としてまんまるで、ピカピカと光沢がある。
しかも右目しかない。左目がないのだ。
夢の中で、私は男の子と思い出の場所を辿っていた。
家の近くの桜が綺麗な公園。
花びらが舞い散り、舞い上がり、全てが薄紅色に染まりそうな空気の中、私と男の子は手を繋ぎながら滑り台を滑り降りる。
砂場に私たちだけの王国を建設する。
シーソーに乗る。でも、男の子の体はとても軽く、シーソーは私の方にガクンと傾いたまま動かない。私はなんだか恥ずかしくなる。男の子は長い首をゆらゆらと揺らし、右だけの目をピカリピカリと光らせながら笑う。
笑い転げながら、二人で目一杯遊んだ桜色の夢の後、目覚まし時計のけたたましさに眠りから現実に引き戻された私は布団の中でふと気がつく。
あの公園は10年以上も前に取り壊され、今では時間貸しの駐車場になっているのだと。
私は、毎晩毎晩、眠りの世界で5歳の女の子に戻って男の子といろんな場所に行った。
家の近くの小高い丘にぽつんと鎮座するお稲荷様は、私たちだけの秘密基地。
駄菓子屋さんでラムネ菓子やチョコレートを選ぶためにうろうろしている時も、男の子の手をぎゅっと握っていた。
近所の庭先の大きな番犬をからかいに行って吠えられ、二人で大きな声を上げながら逃げた。
家族旅行で行ったはずの山や海でも、男の子は一緒だった。
「川で泳ごう!」
ある晩、眠りの世界の私は、山の中の渓流を目の前にして彼を誘った。川は水しぶきを上げて涼しげに流れている。
男の子は首を横に振った。
「僕は水には入れないんだ」
男の子は寂しそうに言った。
そういえば、彼は水に濡れるのを本当に嫌がっていた。
海やプールで泳いでいた時も、男の子は一緒には泳がず、私のことを遠くから見ているだけだった。
私は何も言えず、黙って彼を見た。
木漏れ日が彼の山吹色のシャツの上で揺れ、ブラウン色の斑模様のように彼の服を彩った。
その時、私の頭の中に、ふと電流のような連想が走った。
男の子は、何かにとてもよく似ている。
そう、あの動物。
首のとても長い・・・・・・。
私は目を覚ました。
7:35
起きて、身支度をして、満員電車に飛び乗らなくては。
まだぼんやりと靄がかかったような寝ぼけ眼のまま、私はパジャマを床に脱ぎ捨て緩慢に服を着る。
暖房はガンガンに効いているはずなのに、冬の朝の寒さがそこらへんにじとっと忍び込んでいる気配がして、思わず私は身を震わせた。
毎日の習慣となった手つきで、何の感慨もなく顔の上にのせられていくファンデーション、アイシャドウ、チーク・・・・・・。
片手で紙パックの牛乳を飲みながら、もう一方の手でハンガーにかかったコートを無造作にはぎ取る。
その瞬間、どこにひっかけたのか、カツン、と音がして、コートから弾け飛んだボタンがフローリングの上に跳ねた。
「あーあ・・・・・・」
私はイライラとして黒いボタンを拾い上げる。
黒々としてまんまるで、ピカピカと光沢がある・・・・・・ボタン。
突然、私は、周りの時が止まったかのような衝撃を覚えた。
私は手の中のボタンをじっと見つめ、考え込む。
首の長い男の子の右だけの目。
ピカピカ光って・・・・・・まあるい・・・・・・。
「ロビン」
私は、懐かしい名前をポツリと呟いた。
今まで忘れていた記憶がはっきりと脳内に閃いた。
幼い頃、私は「ロビン」と名付けたキリンのぬいぐるみが大のお気に入りだった。どこに行くにも片時も離さず、常にロビンを両手に抱えて過ごしていた。
ロビンは、ふわふわして、山吹色で、茶色い模様が世界地図みたいに体中を彩っていた。ロビンの目は、黒くてまあるいボタンが縫いつけられた優しい目だった。
でもある日、ロビンの左の目のボタンがとれてしまった。
私はショックを受けたものの、ロビンの左目は小さな袋に入れて大切にとっておいた。
右目だけになった片目のロビン。
私はロビンが不憫に思え、今まで以上にもっともっとロビンを抱きしめ、可愛がり、今までにもまして離れずにずっと一緒にいるようになった。
ロビンはずっと私の大親友だった。
でも大人にとって、それは、子供の手垢にまみれ汗を吸い込んだ、黒ずんで汚らしいぬいぐるみとしか思えなかったのだろう。
衛生的な問題を懸念したキレイ好きの母に、ロビンはいつの間にか捨てられていた。
ロビンはいなくなった。
私の元にはロビンの左目だけが残った。
ポケットの中に入れた、ツヤツヤとした感触のロビンの左目を私は何度も握りしめた。
ロビンはもういない、ということを確かめるために。
やがて私は小学校に上がり、ロビンのことを忘れていった。
ロビンの左目も机の引き出しの奥深くに仕舞ったまま、取り出して見ることもしなくなった。
私はため息をついて、手の中の黒いボタンをそっとコートのポケットに入れる。
今日の夜も私の眠りの世界にロビンは訪れるだろうか、と私はぼんやりと考える。
ロビンに謝らなくては。長い間忘れていてごめんね、と。
そして、彼に渡して上げるのだ。この「左目」を。
私は、駅への道を早足で歩きながら、ポケットの中の「左目」をぎゅっと握りしめていた。
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