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家に帰ってよく考えると裕福な家庭ならリサイクルショップに売ったりしないんじゃないかと思い直す。
むしろ借金苦で少しでも現金が欲しいからとかよくない考えがいろいろ浮かぶ。
とりあえずこの元化粧台を細部まで調べてみる。もしかしたら裏側に名前が彫ってあったりするかもしれない。学生服的な。
鏡を外し中に顔を突っ込んであれこれ見回す。この行為自体が無礼なんじゃないか。でも検品の人だって確認しているだろう。まぁその時にはまだ魂は入っていないわけだが。
特になにも見つからなかったので次は引き出しに入っている安い化粧品類を取り出す。ここにも何もない。ふと思い立って引き出し自体を取り外す。そして空いた隙間に手を突っ込むと写真と思わしき感触が指先に伝わる。当たりだ。
そこには幼いころの私の顔写真が……なんてことはなく桜の木に囲まれた公園のブランコが映し出されていた。思わず「これだけ?」と口から出そうになる。今度は隙間をスマホのライトで照らしてみるが他には何もない。おそらく引き出しに入れておいた沢山の写真の中からたまたまこの一枚が奥に落ちて見落とされたのだろう。私も学生時代に多くの宿題を引き出しの奥に紛失したもの。あぁ今も学生だった。これからも紛失する予定。
写真は恐らくデジタルカメラで撮られたもので日付はないが長くみても20年以内といったところか。思い出の場所だろうか。故人の姿がないところを見るに死後に誰かが撮ってそっと入れておいたのかもしれない。なんでもない公園が故人にとって大切な場所って一体どんな人物か。
「子供?」
口に出した途端に寒気がする。子供の死、売られた仏壇。物語が重すぎる。とうてい私の手には負えない。天国で大好きだったブランコに乗れるようにその写真をってああもう容易に想像できてしまう。
一度冷静になろう。そもそも子供が入っていたというのはあくまでも私の推測だ。第一子供が死んだからと言ってそこに深い悲しみがあるとは限らない。いやいや、子供が死んで深い悲しみがないってどんな死だ。そっちのほうがよっぽと悲しいじゃないか。
とりあえずこの公園がどこなのか調べることにする。一見すると何の変哲もない普通の公園のようだし近所の可能性は十分にある。それにもしかしたら18歳未満立ち入り禁止のエッチな公園かもしれない。それなら子供は関係ない。そんな公園が近所にあったら今度は街の治安の方が不安で眠れないが。
インターネットは便利なもので大体の住所の目星をつければ写真一枚でも数時間であっさり特定出来てしまう。プロにかかれば眼球に移った風景程度の情報で特定することもあるらしいし、これだけしっかりと写真に残っていればあとは公園をしらみつぶしに当たるだけだ。家からギリギリ徒歩圏内のおやすみ公園というところらしい。隣に目覚まし時計のオブジェが印象的なおはよう公園という大きな公園があるが、このブランコしかない小さなおやすみ公園をわざわざ選んだのはなぜだろう。まぁみんながみんな大きい方が好きというわけでもないか。
夕暮れ時なので少し迷ったが一応治安を売りにしている地域なので今から向かうことにする。というよりこのもやもやを今日中にある程度解決しないと部屋の中の方がよほど怖い空間になってしまう。人間の想像力は意外と侮れない。
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