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「うん」
きっとそれが正しい。
『こんな形だけど··········』
言わなくてもわかるよ。
「ありがとう。わざわざ」
佳澄はわざと明るい声を出した。そうただってきっと苦しいんだ。だからこそ自分で終わらせたかった。
『··········いや』
「今度ご飯奢ってよ」
『こんな時までそういうこと言うなよ』
「ははっ」
夜の街に乾いた笑い声が響く。他愛ない会話をしてそうたとの電話を切った。
ずっと握りしめていたシャツには皺が寄っている。
これで何度目か。もう慣れたはずの痛みだと思っていたが。
首を振って考えるのを止める。
BARに戻ると、先程まではいなかった新しいお客様が入っていた。その人は一番奥のカウンター席に1人で座っていた。
何となくその姿が気になった。
梅雨真っ盛りのこの季節、雨は降らずとも夜は蒸し暑い。だがゆるくウェーブのかかった黒髪を流しているその細身の女性は長袖の濃紺ブラウスを着ていた。頬杖をついて虚ろな目でグラスに入った青く澄んだカクテルを眺めている。
飲まないのだろうか。
ふとその女性が佳澄を見た。女性としてはただ戻ってきた店員を見ただけだったのだろうが、佳澄の方はそうではなかった。
若干痩せてはいたものの、その女性の顔に佳澄は見覚えがあった。
女性は左手をグラスに添えそれを口に運びながら、右手で左の鎖骨を服の上から撫でた。
一見するとただの癖。だが女性のこの仕草が佳澄の脳裏に浮かんだ可能性を決定的なものにした。
衝動的に体が動き、その女性に足早に近づく。
マスターが不思議そうな顔をしたが構うものか。
「あのっ」
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