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千晶の手を引いてマンションに入り、無言のままエレベーターに乗った。
千晶は俯いたまま一言も話さなかった。
千晶の手はこのぬるい雨に降られていたのに冷えきっていた。きっと体も冷えてしまっているに違いない。
ドアを開けて中に千晶を入れた。
暗い玄関で先に入った千晶は立ったままだった。
その後ろ姿は千晶と再会を果たしたあの時のように寂しげで、悲しげで、必死に何かに耐えているようだった。
「あの、とりあえずお風呂に·····」
佳澄がそう行っても千晶は何も反応しなかった。
今の千晶は、"空っぽ"だった。
冷えきって麻痺して何も感じていない。何もかもが停止してしまっている。
どうして、なんで、こんなに·····
佳澄の中に次々と疑問が浮かんだ。混乱して、またあのどうしようもない感情が湧き上がってきた。
千晶のことばっかり考えないようにしていたのに今となってはそんなことはもうできない。こうして考えてる間も、考えてなかった間も千晶は苦しんでて辛くて·····
そう考えたら胸が苦しくなった。
「千晶さん」
千晶の体は思っていた以上にとても冷たかった。
服から染み込んだ雨が千晶の奥まで冷やして、心まで凍らせてしまった。
それを溶かすように、強く強く抱きしめた。
何も言えないし、言っても響かないと思った。今の佳澄が千晶にしてあげられることはこれしかない。
そう信じ、佳澄はひたすらに千晶を抱きしめた。
千晶さんには、私がいます。
そう思いながら千晶に自分の体温を伝えた。
やがて佳澄のシャツに何かが垂れ落ちた。それが千晶が流した涙だとすぐ気づいた。
声を押し殺し誰にも気づかれないように静かに零す涙は、顔をあげた時きっと無かったことにされるに違いない。
そんなことさせない。
「泣いていいんですよ」
千晶の背中を撫でながら優しく言った。もう千晶が泣いているのはわかっていたが、そういうことではなかった。
「弱さも、辛さも、全部零していいんです」
いや、零してほしかった。そしてそれを受け止める存在になりたかった。
「それを受け止めたくて、私がいるんですから」
言ってる佳澄が泣きそうになっているのはどうしてだろう。
千晶の手が佳澄のシャツをきゅっと掴んだ。そしてその小さな肩が震え嗚咽が漏れた。
消えてしまいそうだった涙は意志を持った嗚咽に変わり、嗚咽はやがてちゃんとした泣き声に変わった。
悲痛な千晶の声が佳澄の耳に痛いほど響いた。
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