(Poverty)

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(Poverty)

 小林多喜二、葉山嘉樹、徳永直、宮本百合子……連綿と続くプロレタリア運動の体現者たち。けだし、この作品はそのような系譜の先達に勝るとも劣らない、我が身を供物にして現代社会の暗部に抉り込み、その骨肉と精神を蝕みさせながらも、混迷する世相に殉じ、虐げられている貧困層に、朽ちつつある己の心身を捧げ、矮小たる底辺の労働者としての自覚をして、血反吐まじり血涙の情念を背負わせ筆者に書かせた、究極かつ至高の逸作。著述家という表現者においては乾坤一擲(けんこんいってき)にして畢生(ひっせい)のマスターピース。これこそ真たる、プロレタリアートの、プロレタリアートによる、プロレタリアートのための文学である。  byグローバル・インターナショナル・ワールドワイド(GIW)文芸評論家:京極院法隆(きょうごくいんほうりゅう)        *                  *  佃仙吉(つくだせんきち)の心は疲れ果てていた。  少なくとも飢えていた。  そして、自らの人生を常日頃呪っていた。  仙吉の生まれ育った家庭は裕福とは言えず、幼少期から父母三人家族ともども公営団地に住んでいた。また、仙吉も恵まれない環境を子供の頃に既に察知し、他の同級生が持っていてしかるべき玩具を自分が与えてもらっていない事や、友人との雑談で交わす日々の夕飯のメニューの格差から、どうにも友達との齟齬感が生まれ、自らを、貧しい身の人間、と卑下すようになり、その家庭の経済的事情云々で、周囲から疎外されるようないじめの類にあったわけではないのだが、仙吉自身が勝手に腐り、精神的引きこもり状態に入ってしまった。  以来、思春期以降の仙吉は鬱屈した性格になり、両親とも不和が続き、所謂、反抗期とはまた別な負の感情を抱きつつ日々を過ごすようになった。  中学生活や高校生活は元より、家庭の雰囲気も最悪。その諸元は仙吉の斜(はす)がかった態度なのであったが、本人は自覚がない。自分の生き辛さの理由を、自分の存在を受け入れてくれない社会を、全ては周囲に悪しき原因があり、と仙吉自身は判断して、言わば本来は人の上に立つ人間として己を評価していた。  だが、そんな仙吉に事件が起こる。  両親が仙吉の高校卒業間近に交通事故で死んだのだ。  仙吉にとってはもはや父母とは同じ家庭内にいながら断絶状態の関係だったので、憐みもなければ悲しみもなく、無論、涙などを流す殊勝な感情もなかった。  それよりも問題は当面の生活費。さらに言えば直近に迫った大学の入学試験と受かった際の入学費用と授業料。だが、その憂慮は、決して多額ではないものの、両親の生命保険で賄えると判明したので、仙吉は肩を撫でおろすともに、この世に生を受けて初めて両親に感謝した事案だった。死んでくれて、本気(マジ)サンキュー! と。  しかし、人生は塞翁が馬。仙吉の想像とは違った青写真が広がる。  大学受験に失敗したのだ。  つまり、全受験した大学に豪快にも見事に全不合格。巷間、名前さえ書けば受かるとも言われるFランクの大学も、仙吉本人からすれば最悪最低限の滑り止めとして受験したのだが、それらも含めて落ちた、いや、堕(お)ちた。  予想外の結末にして展開、と仙吉は焦思し、またも世を憎んだが、そもそも論として仙吉に一般受験で大学に受かる能力などなかった。高校時代の成績はギリギリ落第しない程度の学力で、挙句、受験勉強自体もほとんどやらずに試験を受けに行っていた始末。ただただ無根拠にして無意味な仙吉の傲慢さと自尊心ばかりが仙吉自身の脳味噌を駆け巡り、現実的な教養と偏差値などは度外視していた、というより入り込む余地がなかった。  そして、大学受験の躓(つまづ)き、その失敗も、また、気づくことなく、省みる事なく、迷わず早速仙吉は大学浪人という道を選択する。一度、自らに学生の落第の刻印を押した社会への恨み辛みへの復讐を込めて。  さすがに浪人生ともなると自主自学を始めるのだが、いざ、まだ残っている親の生命保険代で予備校に通い始めると、すぐに勉強をさぼり出し、高い授業費を払った予備校にも行かなくなった。理由は簡単にして単純。予備校の授業を受けても、何を言っているのか理解できないからである。普通ならそこで踏ん張って勉強の理解に努めるものだが、仙吉にはそんな耐性はなかった。ここでも、大学受験の勉学というものは、若者が持つ特有のエネルギーを阻害するものなのだ、と意味不明な屁理屈で受験勉強からドロップアウト。その後は残った親の生命保険代を使ってギャンブルやショッピングなどの散財に腐心し、それをもってして仙吉は、この生き方こそが束縛されない本当の人間の自由だ、と己の脳内では総括して、一路、貧乏困窮生活へ没入。自己破滅人生の始まり。しかし、そんな浪人生活をしていたにも関わらず、一応は大学受験を敢行。そして、言わずもがな、あえなく撃沈。  その後はさすがに手元の金も尽き、大学受験も諦め、もっぱらバイト生活や派遣社員生活に明け暮れるも、仙吉の持ち前の我の強さと怠慢から、すぐに仕事場から自ら去り、もしくはクビを即座に言い渡される次第。多からず仙吉も付き合いが悪いとはいえ親戚もいたが、両親が事故死したという情状酌量の部分を差し引いても、誰も仙吉に救いの手を差し伸べる身内はいなかった。それに心身状態は健康であるので、生活給付も受けられる資格もない。  そして、遂に住んでいた公営団地からも家賃滞納の上に追い出され、住所不定無職の輩になってしまった。だが、しばらくは完全無収入でホームレス生活をしていたが、目ざとい貧困ビジネスのブローカーが仙吉に目を付け、名もなき劣悪な労働環境の飯場(はんば)を紹介し、日給五千円の十二時間肉体労働の週休一日の仕事を斡旋した。本来なら日給一万円なのだが、その半額はブローカーにピンハネ。そんな事とは仙吉は露知らず、平日と土曜日は自分自身でも何の目的でやっているのか分からない採掘作業に従事している。 過酷な労働にして恵まれぬ職場環境。年季の入った木造の寄宿舎にして、雑魚寝の六畳程度の広さの部屋に四人が住み込み、大部屋にあるテレビが唯一の娯楽施設。そして、風呂とトイレは、勿論、全労働者共有で、恐らく二十世紀製であろう縦型式の洗濯機が一台だけ設備。インナーは上下を二枚ずつ支給はされるが、作業着は一着のみで破損した場合は実費で購入。  そして、ワーキング・プアにとっては然(さ)もありなんではあるが、飲食こそが最大のレクリエーション。だが、唯一無二のそのエンタメではあるが、食事のだいたいのメニューとしては変化がなく、朝食は出来る限り薄くした、もはやカレースープ状態のライス無しのカレーとパンの耳。ただしパンの耳は食べ放題でそれを最大限に利用して、カレーに浸して食べれば何とか午前中の空腹は凌げた。昼食はこれまたキャベツの千切り食い放題と、妙に色落ちした魚肉ソーセージに大豆の缶詰。そして、仕事終わりの夕食は、麦飯おにぎり二つと大根の葉っぱの味噌汁にもやしの醤油漬け。それにまたも大豆の缶詰。豆は栄養万能の食材、という理解がこの飯場での食事においての暗黙知、と仙吉が察したのは直ぐの事であった。  とりあえず貧相な食事にして、栄養バランスもギリギリな感ではあるが、平日と土曜日は労働している間に最低限とはいえ食料にありつけるから良いものの、唯一の休日である日曜日はその飯場は朝昼夕の食事は出ない。また、ある意味唯一の利点として、労働している日は取っ払いで給料が貰えるのだが、それも休日にはない。  勤務外の労働者には一切関知しない。それもまた仙吉の働く飯場の暗黙のルールである事を仙吉は知っていた。あの飯場は、現場で労務者によって事故を起こされたり、労働者が病気に罹患したりするのは、当局に対して及び世間体を気にしてもあって敏感であるので、労働一時間半の間に十五分の休憩を挟むような措置、つまり、過労死しない程度の限界ラインで働かせる事には気を使っている。しかし、一度、勤務外となり外出でもすれば、飯場としては無関係を貫く。所詮、仙吉などは使い捨ての日雇い労働者なのだから。  そして、今、仙吉は飯場で食事の出ない日曜日の休暇の渦中、仙吉が働く山場の麓の街を仙吉は徘徊している。山を下りた理由は、休日をエンジョイする、というのではなくてパチスロで一稼ぎをするため。だが、あえなく、しばらく貯め込んだ賃金ほとんどをその賭け事にスラれ、本日はそのパチスロ店はグランドオープン日の大当たり狙い目であり、早朝から客の行列に並び確実に儲けるはずであったのだが、朝食と昼食を抜きにして粘った果てに、結果としては憤慨と空腹の苦しみしか残さなかった。  本当なら今日は確実に勝てたはずだった。何故だ? グランドオープン日だからこそ、ジャンジャンと確変の嵐に恵まれ、懐は温まるはずだったんだ。そう思ったからこそ、この日まで金を使うのを我慢して、そう、この日に賭けたのに……こんな事態はあり得るものか? これはフリーメーソンの企みに間違いない。それともユダヤ人資本家集団なのか? どうして俺という存在は、あまりにもあらゆる巨大勢力から選ばれた存在になってしまったんだ!  常人の思考回路としてはショートした状態ではあるが、而立(じりつ)の歳を前にした佃仙吉は、本気でそう思い込んで、内心、地団太を踏んでいたのだった。  そうして、兎にも角にも仙吉は飢えていた。空腹に足掻いていた。  昼下がり、寒風もふぶく中、仙吉は千鳥足になりながらも、飲食店を探していた。いや、選別していた。休日、財布の中身が薄い時は、三食ともかけそばですますのだが、今の仙吉の心情を鑑みるに、パチスロで貯めていた金を失い、そのショックは心をも飢えさせていた。  駄目だ。腹を満たすだけでは駄目だ。食う量だけでは俺はひもじ過ぎる。精神の栄養が必要だ、俺には。味だ。美味いもんを食いたいんだ。ストイックでいるにも限界がある。せめて苦節の六日間の労働の自分の褒美として、ギャンブルで札を無くした己への憐れみとして、どうにか僅かに残る所持金で、せめて出きる限り豪勢な食いもんを俺は食べないと、自律神経が崩壊してしまう。  空腹の苦悶と金銭の喪失感。両方を天秤にかけて、見事釣り合った仙吉の胸襟のバランス。既に仙吉の目には街に並ぶ飲屋の店先に置いてあるショーウィンドウやメニューばかりに注視され、頼りなくふらつく歩行の挙句、転びそうになった事が多々あった。  そんな覚束ない仙吉の足取りの中、仙吉の目に入ったのは中華料理屋だった。さらに眼中に刻まれたのは、店先に備えてあったショーウィンドウの食材サンプルのチャーハン。それを眺めた時、思わず仙吉は唾を飲み込んだ。 食いたい。俺がチャーハンを食う事によって、明日地球が粉々になるとしても、俺はこの米を炒めた料理を完食したい。  ダメージ・ジーンズではなく、自然と酷使して所々に穴の空いた作業用デニムのポケットから残金を取り出してみると銀貨四枚、四百円が仙吉には認(したた)められた。そして、チャーハンの値段も税込みでちょうど四百円。  これはまさしく運命だ。神がこのチャーハンを食えと導いているんだ。それに俺はもう我慢できない。ここで全所持金を使ったら夕食はなしだ。いや、夕飯の事は考えるな。今を生きるんだ。今日一日のハイライトは、今、この瞬間なんだ。タイミングを見誤ったらさっきのパチスロ店側のインチキ臭いシステムの餌食と同様に失ってしまう。そう、人間としての尊厳や矜持を!  ズレまくっている仙吉の考えは、自らがチャーハンを食すエクスキューズとして、無理やりな思想に拡大させ、己を納得させた。  仙吉は口の中を唾液で満たしながら、しばらく中華料理屋の店頭で立ち止まった後、徐に店内に入った。中に入るとすぐにラーメンや餃子や、その他諸々の庶民中華料理の匂いが充溢して、仙吉の食欲をさらに狂暴にさせた。久しぶりの立ち食い蕎麦屋以外の飲食。仙吉の気分は昂揚(こうよう)し、今にも他の客が食べている料理を手づかみで奪い、口にかけ込んでしまおうという衝動にもかられた。だが、その気持ちは何とか店員が仙吉に席を案内しに来たので一旦抑えられ、また、テーブルに置かれたお冷によって、それを仙吉が口に含むと、仙吉の高いテンション状態をクールダウンさせた。  店員が、 「それではお品が決まったらお声がけください」  と言ったのだが、すぐに仙吉は、 「チャーハンを頼みます」  と即答した。それ以外の選択肢は仙吉にはなかった。スープ付きのチャーハン。店員はすぐにオーダーシートにメモを取り、 「チャーハン一つですね。承知しました」  仙吉に確認すると、さらに大きな声を出して厨房に向かって、 「チャーハン一つお願いします!」  そう伝えて仙吉の席から離れて行った。すると仙吉は周りを見渡して、今一度お冷を口にした。  客どもは似たような連中ばかりか。如何にもブルーカラーな奴らで、どうにも白のビジネス・パーソンな人間はいそうにない。この辺りの地元客だろ、日曜日にこんな場末の薄汚い中華料理屋に来るような連中は。俺もよく把握していないこの地域は民度が低いのだな。口の中をシーシー言わせて爪楊枝でスキっ歯をいじってばかりの下級国民どもじゃないか。だが、俺もこいつらと同じような状況だ。畜生! どうして俺はこんな事になっているんだ。俺は本来なら大卒して、一流IT企業に就職しているはずだったのに……何をしてこんな困窮な身に俺はローリング・スト-ンしてる。世間の見えないジェラシーが、物理的作用に転化して、俺を貶めているのか? 俺は半ラーメンが付いた五百八十円のチャーハン・セットが本当は食べたかったんだ。出来れば餃子も付けて……何なんだ、一体。運命の神とやらは何故に俺を苦しめる。試練なのか? あまりにも健全かつ潔白な心身をもって生きている俺が故の、ブラックな環境下における労働とは、それが為の通過儀礼。あんなヒトデナシのロクデナシの粗悪な職場の施しは、俺への当てつけではないのか。まるで俺に課せられた労働は悪業(カルマ)を背負っているようだ。シーシュポスが岩を山頂に運んでは、岩は転げ落ち、もう一度地上に戻り岩を抱え、それを繰り返しながら再び山を登る。延々と。それとも俺はゾンビなのか。そうだ、ゾンビとは元々はハイチ由来のブゥードゥー教の呪術で、死人を蘇らせて労働をさせるのが目的。死者に賃金を支払う必要はないから人件費はゼロ。ほとんど俺と同じような待遇ではないか。俺は生ける屍扱いか。全くもって笑止万全。嗚呼、俺は呪う。格差社会? ふざけるな。俺は底辺に生きる資格を持つ者ではない。ジニ係数で言えば富の上位に屹立する存在でなければならないのに、どうしてかこのような地位や位置に甘んじなければならないのだ!?  仙吉は注文を待つ間、ずっと自らの境遇について呪詛の念を思い描いていた。久々に立ち寄った中華料理店で食事をするからか、奇妙にも歪んだ心象で、理由や根拠のない苛立ちを抱きながら。さらに自分が羽織っている小汚い作業着を仙吉は顎の無精ひげを擦りながら一瞥すると、余計に煩わしさが増幅してきたと感じ始めた。仙吉は人差し指をテーブルに何度も打ち付けて、足の踵を幾度も床に踏みつける。誰かに気づかれたら明らかには様子がおかしい客。  そのような姿を呈している仙吉の前にちょうどチャーハンが運ばれてきた。テーブルに置かれたそれは、仙吉の鼻孔に香ばしい匂いが染みる。仙吉は焦燥しながらも、目前の焼き飯の誘惑にかられ喰らった。 「うまいっ!」  思わず仙吉は叫んでしまった。  このしっとりしすぎず、パラパラでもない絶妙な米の炒め具合。刻み長ネギとコマ切り豚肉のハーモニーとマッチング。ウマい、ウマすぎる。舌を錯乱させ、困惑させ、犯罪級のジューシーさが口内全てを奪う。コイツは死神的なウマさだ。残酷過ぎるウマさだっ! もはや俺にとって最後の晩餐となってもおかしくはない逸品。ここまでもチャーハンというものはウマいもんだったのか? 何なんだこの奇跡的な美味。至高の嗜好。俺はチャーハンなど残り物で片付けるような料理とナメていたが、真に旨味を放つ究極の米料理ではないか!  まさしく超が付くほど大袈裟に、内心、チャーハンの味を噛みしめる仙吉。普段の粗末な味気のない食事の反動から、久しく食べてなかった油っぽい食品に仙吉は猛烈に感動していた。  そして、その食の感動はどうしてか仙吉の腐っていた心情にも影響を与えた。  何てこったい……俺は犬畜生のように最低な奴だった。世の中にはこんな精神が満ち足りる瞬間があるじゃないか。俺は全てを社会のせいにして、独善的に今まで生きていたんだ。クソ! 今になりこの歳にして、世界が慈愛と希望に満ち溢れている事に気付きやがった。遅すぎるだろ、俺。だが、どうやら、ようやっと俺のアイデンティティは確立されたようだ。この状態こそが元来の自然な人間の姿。さらなる人としての生の飛躍(エラン・ヴィタール)だ。自由だ。俺は煩悩の解放を成したのだ。テーゼ、アンチテーゼ、そして、アウフヘーベンしてジンテーゼ。昇華していくこの思いは、間違いなく俺の人生観を変えた。シェフを、シェフを呼んでくれたまえ! と叫びたいが、ここは我慢。俺の精神革命はあくまで静謐をもって仕上げるべきだから。  もはや仙吉の頭の中は明後日の方向に向かっているようだったが、どうやら仙吉の今まで溜まっていたルサンチマンは解消されたようで、仙吉の人生史上初めて自省をした。心の充足を覚えた。  その思いを味わい噛みしめたら、その後は怒涛の如くチャーハンを味わい尽くす。備え付きのスープも一気にかき込み、お冷も一気飲み。あっという間に完食。食後、大満足。しばらく仙吉は美味の余韻に浸るため、お冷をおかわりして、それをチビチビと飲んでいた。  俺の心は無償の愛(アガペー)を拓いた。  これは四百円の価値がある、と確信した仙吉は、今の満足感をそのまま、帰途に着こうと思い、ポケットに手を入れ百円玉四枚を取り出そうとした。  だが、 「な、何っ!?」  と思わぬ仙吉の叫喚。  掴んだのは百円玉三枚と五十円玉一枚。  つまり、五十円玉を百円玉と仙吉は見誤っていて、全所持金は三百五十円だったのである。チャーハン代は四百円。五十円お金が足りない。たった五十円の差額ではあるが、仙吉にとってはそれが、地球から宇宙に飛び出し、数十億光年離れている準恒星状(クェーサー)までにも四百円への隔たりを感じた。  この状況は剣が峰。万策無し。焦眉の急。  仙吉の脳裏にそのような言葉が浮かぶ。  こんな所でトラブルを犯したら、確実に仕事がクビになる。飯場は何もしてはくれないし、無関係を装い俺は切り捨てられる。いや、ヘタすりゃ警察沙汰か? そうしたら何もかもが終わりだ。終わりだ……終わりだ……否、俺はこんなクソみたいな社会の些末なステージで終わる人間じゃないんだ!  先ほどまで世間に対して従容にして受け入れ、認めていた仙吉の思い一転して、支払額が足りないと分かると、すぐに反道徳かつ反倫理に心変わりし、すぐさま脱兎の如く中華料理屋からから飛び出していった。  あまりにも俊敏な仙吉の行動であったが、店員も間もなく反応して、無銭飲食を敢行した仙吉を追った。 「ハァ、ハァ」  走り続ける、いや、遁走する青息吐息の仙吉。チャーハンを食べた直後なので、胃袋に不快感を覚えながらも仙吉は走る。後ろを振り向く余裕などない。つまり、それは横を確認する余地もなかったということ。  仙吉は赤信号に気付かず横断報道を駆け抜けた。その刹那、大型トラックが横切り、仙吉をブチ跳ねた。  仙吉は即死した。  望み通り先ほど食したチャーハンが仙吉の最後の晩餐となった瞬間でもあった。                            了
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