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52.自由
光が星となり闇の中に吸い込まれるように消えていき、瞼の裏が白から黒に変わると、和子は避難所にいる現実に戻っていた。
相変わらず視界は何も映し出さず、世界は闇に包まれている。
けれど耳から入ってくる窓の外の小鳥のさえずりや、梢の揺れる音、人々の生活音や息遣いは、何だか以前よりリアルに、鮮やかに感じた。
そして和子はすぐそばに誰かがいること、そこから安らかな寝息が響いてくることに気づいた。
手探りで指に触れたのは筋肉質な固い肌で、直感で和子はそれが稔彦の腕だと分かった。
あたしはどれだけ長く眠っていたのだろう。
千恵美と交代で見てくれていた、というのは朧気に覚えている。
稔彦はそのうちに眠りに就いたのかもしれない。
腕を触られたことに気づいた稔彦は、眠い目を擦りながら頭を起こした。
「ああ、和子・・・・・・起きたのか。どうだ、調子は・・・・・・」
「稔彦」
「ん?」
「もう、いいよ」
「・・・・・・え?」
寝ぼけ眼の稔彦は、意味が分からない、と言う風に首を傾げ、和子の正面に座り直した。
「え?何が?」
「だから、もういい。自由になっていいよ。ずっとあたしの面倒を見る必要なんてない。稔彦には稔彦の人生がある」
「え?ちょちょちょ・・・・・・待て。急に何言い出すんだよ」
「あたしは、稔彦の気持ちには応えられない」
「・・・・・・・・・・・・」
笑ってごまかそうとしていた稔彦だったが、和子の真剣な表情に顔色を変えた。
「・・・・・・何だ、それ。随分、一方的だな」
「ずっと考えてたの。私の目がこんなになったから、助けてやらなきゃって、義務的に思ってるのかもしれないけど、そんなの気にしなくていいから。大丈夫、あたし・・・・・・何とかやっていくから」
「それは・・・・・・俺がいたら、迷惑だってことか」
「そうじゃない・・・・・・でも、稔彦の人生を、あたしのせいで台無しにしてもらいたくないんだよ。
あたし、これからちゃんと努力する。
目が見えなくなって料理も掃除も出来る人はいるもん。
点字も習うし、何でも1人で出来るように頑張る。
極力人に甘えずに、生きていけるように・・・・・・だから、稔彦にも、自分の人生を生きてほしい。
あたしは、稔彦の足枷には、絶対なりたくないから」
言いながらも、不安はあった。
本当にそんな風に生きていけるのか。
でも、そうしなければと思う。
そうしなければ、自分は、本当にダメな人間になる。
稔彦は和子の言葉を目を閉じて黙って聴いていた。
けれどその眉は厳しく寄ったままで、理解を示すようなものではなかった。
「・・・・・・それでも」
「え?」
「それでも、お前が邪魔だって思っても、俺がお前を守りたいって思うことは、俺の自由じゃないのか」
「いや、だから」
「目が見えないから?傷が醜いから?
そんなことで俺がお前を嫌うとでも?
そんなちっぽけな理由で、俺の気持ちが恋心から同情に切り替わったと、そう思ってるならお前は大変な誤解をしてる。
俺に配慮して言ってるつもりなら、それはお前の勝手な想像だし、俺にとっては・・・・・・侮辱だ」
「そんなんじゃない!」
「俺は本気だ!お前の目がどうだって構うもんか。お前は生きてた。それだけでハッピーだ!
それ以上望むもんか・・・・・・。
なのにお前が、俺をその程度の男だと思ってたなんて、ああもう最悪だよ。
俺はお前に気遣って行動を抑えてただけだ。お前の目にドン引きしてよそよそしくなった訳じゃない。
俺は、ただお前のために何かしたいだけだ。全力で、お前のために・・・・・・」
「あたしは、稔彦とは一緒になれない」
声を、振り絞って言った。
言葉にしたくなくても、言わなきゃいけないこともある。
「稔彦の、その気持ちはとってもありがたい。でも応えられない。
あたしは、きっと死ぬまであたしの心は変わらない。
好きな人はただ1人だけだから。
だから、だから・・・・・・あたしは、一生結婚もしない。
稔彦には、違う素敵な人を見つけてほしい。それで、その人と・・・・・・幸せになってほしい」
「何だよ、それ・・・・・・!」
ダン!と、稔彦の拳が床を打った。
怒り、と言うよりも激しい悲しみが伝わる。
悔しさ、やるせなさが、震える声に表れていた。
嫌いじゃない。
嫌いなんかじゃない。
ありがたい。
本当にありがたい。
でも、一緒にいたら甘えてしまう。
心が向くことが無いと分かっているのにその優しさに甘えるのは卑怯だと思うし、残酷だと思うから。
稔彦がそれでいいと言っても、あたしの心はそれを許せない。
和子のくっついた瞼の下から涙が溢れ落ちた。
その涙を見て、稔彦はガクリと肩を落とし、うなだれた。
「・・・・・・分かった。じゃあ、俺も・・・・・・明日からボランティア隊に加わる。すぐに・・・・・・出発の準備をするよ」
「え・・・・・・」
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