46.願いと代価

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   そして、暁はいつからか、自分の早期の死を覚悟していた。  かなえを欺き出した頃から、これは誓約に違反することだと分かっていた。  それでも船に乗るため、大事のためだと割りきろうとしていた。  洪水の後に自分が生きていることがどうしても想像出来なくなっていた。  そのため、自嘲的になり、だからこそ『最後』ではなく『最期』と書いたのだ。  恐らく自分の命は長くない。  そう思えていたからこそ、暁は死ぬ前にもう1度和子に会うことを切望していた。  その小さな希望があったからこそ、日々の過酷な現実や死への怯えに立ち向かうことが出来たのだ。  和子との再会こそが、暁が生きる上で、もっとも必要な希望だったのだ。  和子は、絶望に満ち、氷のように固まっていた心が、柔らかな真綿のような愛に包まれ溶けていくのを感じた。  死にかけていた種に温かい息吹がかかり、春の花々となって咲き誇り始めたかのような気分だ。  喜びと共に、自分に命があること、それが本当に素晴らしく、尊いことである、という実感が沸き起こった。  まるで暁の体温にくるまれているようだった。  暁の魂が、すぐ近くに寄り添ってくれている気がした。  それは何よりも強い盾、強い剣であった。 『生きよ』  一言、オーロラの声が響いた次の瞬間、和子の全身に突き刺すような雨粒が襲いかかってきた。  和子は我に返った。  ボートは、どこかに穴でも開いているかのように水で溢れ返り、傾いて沈みかかっている。  和子は意識を奮い立たせ、手探りで備え付けてあったはずの折り畳みバケツを探した。  けれど、もうすでに汲み出しきれないほどの水位に達していた。  ようやくバケツを探し当てた時にはもう、ボート内の水嵩は、海面の高さと同じになっていた。  そして構える余裕もなく、ボートはゴフッという音と共に一気に沈み出した。  もう体勢を立て直す、というのは不可能だった。  和子は耳を澄ませ、方舟から響くモーター音とは逆の方向へ飛び込んだ。  数キロメートル先に、陸地が見えていたはずだ。  目はまだ、開かない。  和子はあの水没した洞窟で、勘だけを頼りに潜水したことを思い出した。  そうだ。あの時と一緒だ。  違うのは、目的地に暁がいないことだけ。  今はただ、生きることのために、死から逃れるためだけに、泳がなければならない。  疲弊した身体にまとわりつくように海水は和子を包み込んだ。  衣服に染み込んだ水は重く枷となり、思うように手足を動かすことが出来ない。  海の底で、誰かが呼んでいる気が、引っ張っている気がした。  今、一瞬でも力を抜いたら、もうそれでおしまいだ。    鉄アレイが全身に絡み付いているようだ。  闇の中、目的地が見えない焦り、本当に方角があっているのかという不安が、和子の恐怖心を倍増させた。  体力はすぐさま限界を迎えた。  もしかしたら陸地ではなく、沖に向かって泳いでいる可能性だってある。  けれど和子は諦めなかった。  この心臓が波打っている間は、諦めてはならないと思った。
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