47.焼け跡

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 それからもまだしばらく、ぐずぐずした梅雨のような天気は続いた。  30度を越える真夏日でも、湿度は80%と高く、居住環境の整備が追い付かない中、熱中症で命を落とす人も少なくなかった。    それでも町々に浸水していた海水は、徐々にではあるが引き始め、花居も以前あった道路を長靴なしで歩けるようになった。  返却された地は、塩と汚泥とゴミで顔をしかめたくなるほどだったが、人々は再び元の生活に戻れる兆しが見えてきたことを嬉しく思った。  稔彦は家族とまだ公共の避難所に滞在していた。  自宅は軽い床下浸水程度だが、その一帯で営業している店はまだ無く、ライフラインの復旧も依然進んでいないからだ。  花居は他の海抜の低いところから比べれば確かに水害は少なかったが、台風の続けざまの猛襲は高い電波塔をへし曲げたし、土砂ダムの決壊などで水道管やガス管に亀裂が入ったりもした。  特に水は、病院などに優先的に回されることもあり、個人の水の確保はまだ配給に委ねられていた。  ほとんどの人が職を失くし、稔彦や和子の父も、県外の本社が水に没した関係で休職に追い込まれていた。    しかし男たちに休む暇はなかった。  仕事ではないが、復興のボランティア要請が後を絶たず寄せられていたのだ。  食事や寝床も確保されるとあって、男たちは皆花居から旅立っていった。  しかし稔彦は、1人でも男手を残しておきたいという母のたっての意向もあり、花居に住み続けていた。  家族や友人を求めて、未だ多くの人々がさまよっていた。  特に新たな船が港に入ると、(花居は山の中腹の町なので元々港はないのだが、今は幅広の崖部分を港と呼んで活用している)周辺は人探しでごった返しになった。  稔彦はこれまではいつも、その中に飛び込んでいた。  けれどあの、大量の動植物を乗せた方舟の入港以来、あそこに行くのは気が進まなくなっていた。  ラジオによるとあの動物たちは皆つがいで、各部屋にきちんと分けて飼われており、皆健康状態は良好であったと言う。  彼らのほとんどは、とりあえずこの花居にある、被災が小さかった巨大な動植物園に移送された。  そういった意味ではあの船はまさに、『ノアの方舟』の役割を果たしたのだ。  もしあの船がそういった保護をしていなければ、この国の人間以外の動物で、無事難を逃れた物は少なかっただろう。  ある目撃談によると、その獣たちを連れていく黒マントの男は、こう言って獣たちを意のままにしていたのだと言う。 『恐れることはない。主がお前たちを御入り用なのだ。ただ、私に付いて来なさい・・・・・・』  すると鍵がかかっているはずの扉がするりと開き、いつもは猛々しく飼育の難しい獣も、まるで自分の主人と認めているかのように素直に付いていったらしい。  あの金城暁に、そんな力があったと言うのだろうか?    普通の人間が、それもわずかな言葉だけで、あらゆる動物を操り、瞬時に手なづけることなど本当に可能なのだろうか。  実際あの船に乗っていた生物は、虫や鳥までを数えると数千種に上ると言う。  神が本当に、手を貸したとでも言うのだろうか。  未知なる力の関与があったのか、今となってはもう誰もそれを知ることは出来ない。  金城のじいさんが天使から任されたのは船造りで、動物を集めるのは、暁の仕事であったらしいから。    全ては常人の知る余地のないところで行われた。  もうこの謎を、人類が解明出来ることはないだろう・・・・・・。
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