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「いやね、奥さん。そう言った話はもういいんですよ。いいと言ってしまえば語弊があるかもしれませんがね。
私が今回お話に来たのは、これまでと違う用件なんです。
その・・・・・・息子さんのご遺体がね、確認が取れたんですよ」
耳を貸す必要がないとばかりに背を向けていた暁の母だったが、その最後の言葉にはピクリと肩を震わせた。
「・・・・・・何だって?ご遺体?」
「そうです。港に奇妙な大型船が入ったニュースはお聞きでしょう。
その船で火災の痕跡がありましてね。そこから男女の遺体が発見されたんです。
・・・・・・鑑識の結果、ご子息の暁さんと、その伴侶のかなえさんであることが確認されました。
奥さんの精神状態を考慮して、報告すべきか迷いはしたんですが・・・・・・今は誰もがいなくなった家族を捜している状況です。
その中で、例え亡くなっていたとしても、その確認が取れるだけ良い方と言うか・・・・・・お伝えしておいた方がよろしいかと思ったものですから。
もちろん、奥さんが思われていたように、ご子息の関与が疑われている事件、動物窃盗などの件ですが、その辺りで何か思い出されたことがあれば、我々は未だお聞きしたい気持ちはあります。
しかし本当に・・・・・・施設の記録を洗ってみても、手紙のやり取りなどもほぼ無く、入居費用だけをご子息が送金されるだけのご関係のようですので・・・・・・」
「うるさい!この虫けらめ!出ていけ!」
暁の母は目を血走らせて刑事の顔に唾を吐いた。
その冷静さを著しく欠いた行為に、男たちは顔を見合わせると首を振って背を向けた。
それでも腹の虫の収まらない暁の母は、近くにあった塩の箱を掴むと、それを彼らの背中目掛けて投げ飛ばした。
しかしそれは、刑事たちのシワのよったスーツには届かなかった。
和子がその間に割って入り、顔面でその箱を受けていたのだ。
紙の箱は衝撃で歪み、飛び散った塩は和子の鼻や頬、肩や服のひだの中に雪のように乗っかった。
和子は暁の母が、刑事に掴みかかろうとするのではないかと思い、それを止めようと入ったのであったが、想定外の塩の箱の襲来に、驚くと同時に痛みで顔をしかめた。
「和子!」
稔彦は慌てて駆け寄り、和子の身体に付いた塩を手で払った。
「和子、何やってんだよ!なんでこんな・・・・・・お前の知り合いなのか?」
「・・・・・・・・・・・」
和子は何も答えない。
邪魔された暁の母は罵りの声を上げた。
「何するんだ!余計な真似しやがって」
和子は自分の顔や髪にまだ残る塩を、頭を軽く振って落とし、それから右足の甲部分に転がっていた塩の空箱を拾って彼女に差し出した。
両目に包帯を巻いた少女の無言の圧力に、暁の母は居心地悪そうに顔を背け、乱暴にその箱を奪い取った。
そしてふと、何かを感じ取ったように、再度和子の顔を覗き見た。
「・・・・・・あれ、あんた、どっかで・・・・・・?」
「御船崎で、子どもの頃、暁くんと仲良くさせていただいてました。泉和子です」
「ああ!・・・・・・あの頃の・・・・・・」
暁の母の脳裏に、昔住んでいた古いアパートの玄関先で、暁と一緒にしゃがみこんでいるおかっぱ頭の女の子の映像が浮かんだ。
「あんたは引っ越したって聴いたけど・・・・・・今でもあの子と親交を続けていたの?
ふうん・・・・・・親にさえ笑わない子だけど、綺麗な顔の子だからね・・・・・・女にはまあ、事欠かないわね。自分に釣り合う美女だけじゃなくて、どんなのにもいい顔するんだから」
「え?」
「・・・・・・何だと」
和子を暗に愚弄されたと思い、稔彦は文句を言おうと肩を乗り出したが、そこは和子が腕を伸ばして抑えた。
その様子を「あらあら」と白けた皮肉っぽい表情で暁の母は笑った。それから塩の箱を棚に置くと同時に、自分もドカッと、ブース内のビニールシートに腰を下ろした。
「で?あんたはどこまで知ってるの。まさかあのクソ刑事が言ったことが本当だとでも?」
「・・・・・・暁くんがあの船で亡くなったことは事実です」
「は、そう。そうなの。じゃ、本当ってこと?まあいいよ、別にさ・・・・・・もう何年も会ってない、生きててもどこで何をしてるかさえ分からない親不孝息子だもの。
ろくでもない生き方をして、天罰が下ったんだろうよ。そうさ、あたしの息子だ・・・・・・全うに育つはずもない・・・・・・堕落して当然さ」
和子はその言葉に静かに首を振った。
「いいえ。暁くんはろくでもない生き方なんてしてません。自分の人生を犠牲にしても、多くの動物たちを水害から守ったんです。
誰にも甘えず、弱音を吐かず、ただ懸命に、必死で生きてきたんです。
お母さんのことだって、親不孝なんかじゃない。どうしてお母さんが、御船崎からこんなにも離れた花居の施設に入所になったと思いますか?」
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